「冗談だと思っていたが、本当の話だったのか…」
竜彦はうめき声を上げた。妻であるジュリエットから知事の暴走について聞いて、竜彦は呆れかえる。手に持っていた缶ビールを落としそうになり、慌ててテーブルの上に置く。せっかくの晩酌だが、ビールとソーセージの味が分からなくなりそうだ。
「私も耳を疑ったよ。でも、モントルイユさんの話なら、本当のことだろうね」
ジュリエットは、赤い髪をゆすりながら話す。モントルイユは、県庁の総務部総務課の職員だ。総務部秘書課とは部屋が隣り合っており、両方の課はつながりが強い。総務課には、知事に関する情報は入りやすい。
知事は、一つの条例を提出する計画を立てていると言われていた。出版物、映像などの作品を規制する条例だ。寝取り、寝取られなどを描いた創作物を有害図書、有害情報指定し、未成年に対する販売、頒布、貸与を禁止する条例だ。
知事は淫魔サキュバスだ。性に対しては開放的な態度を取っている。だが、浮気、多重関係などに対しては敵意をむき出しにしている。魔物娘は、一人の伴侶とだけの関係を望む。そのために浮気を敵視する。サキュバス知事も同じなのだ。
そのようなことから、寝取り、寝取られを描いた創作物を知事が規制するという噂があった。竜彦たちは、さすがに噂を信じていなかった。だが、県庁の総務課職員の話ならば、単なる噂ではとどまらない。
竜彦とジュリエットは小説家だ。規制は他人事ではない。オレンジ色の照明に照らされたリビングには、二人の低いうめき声が響き渡った。
サキュバス知事が創作物の規制を行おうとするきっかけは、一冊の小説を読んだことによる。その小説とは、アーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」だ。この小説は、スペインのサン・フェルミン祭を舞台に、一人の女をめぐって寝取り、寝取られ合戦が繰り広げられる様を描いた小説だ。この小説を読んで、サキュバス知事は激怒したそうだ。
竜彦は、「日はまた昇る」について思い出していた。確かに胸糞悪い小説だ。中心となる女はビッチであり、その周りの男は女あさりが好きそうな連中だ。しかもこの小説は、ヘミングウェイの実体験を元にして書いている。自分の嫌いな小説家をモデルにした登場人物を出し、コケにしたのだ。小説を書く技術が優れている分、胸糞悪さは尋常なものでは無い。
この小説に激怒したサキュバス知事は、寝取り、寝取られを描く創作物を規制することにした。寝取り、寝取られを描いた創作物は、知事の手で有害図書、有害情報として指定をする。指定された物は、未成年に販売、頒布、貸与することを禁じる。違反した者に対しては、懲役刑、罰金刑が課される。この内容の条例を出そうと言うのだ。
竜彦は首をかしげた。確かに、寝取り、寝取られを描いた創作物は胸糞悪い。だが、それらを書くことは自由だろう。読者が寝取り、寝取られを嫌うのならば、読まなければ良いのだ。書く自由があると同時に、読まない自由はあるのだ。規制することは筋違いだ。
ジュリエットも条例による規制には反対だ。彼女は、絵画や音楽、物語を愛する妖精リャナンシーだ。彼女自身が小説家として活動している。
「『有害』『不健全』の定義が不明確でしょ。規制するのならば基準を設けることが条件だけど、そんなことが可能なの?規制する者の恣意的な裁量が猛威を振るうことになるでしょ」
ジュリエットは、怒りをあらわにしてまくしたてる。彼女の小柄な体は震え、可愛らしい顔は赤く染まっている。創作物を愛する妖精として、権力による恣意的な取り締まりには強く反発するのだ。
「寝取り、寝取られを小説で書いても、現実の被害者はどこにもいないじゃない。寝取られの被害者は小説の中で存在するだけで、現実にはいないでしょ。小説で寝取られを書いたら、現実の人間も寝取られるというわけ?小説で書いたことが影響して、現実でも寝取られが起こるとでも言いたいの?そんなこと証明できないでしょ」
ジュリエットは、紫色の目をきらめかせながら話す。竜彦は、うなずきながら話を聞く。
彼女の言う通りだ。規制派は、決まって根拠の無いことを言う。現実に被害者がいないのに騒ぎ、非科学的な影響論をまくしたてる。まともに相手にする価値の無いことを言うのだ。
だが、と竜彦は顔をしかめた。そのまともに相手にする価値の無い論が、猛威を振るうことがある。特に権力者が乗り出して来たら、シャレにならない事態となる。彼は、唇を噛みしめる。
竜彦は、歴史を題材とした冒険小説を書いている。恋愛を書くことは主ではないが、ストーリーの展開上、恋愛を書くことはある。その中には、魔物の価値観から言うと嫌われる描写もあるのだ。ジュリエットは、幻想世界を舞台とした日常生活を小説で描いている。こちらも恋愛を描くことは主ではないが、恋
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