魔物娘大学の日常

 宮沢は、強い光を浴びせられて目がくらんだ。目をつぶる彼に奇声が叩きつけられる。
「人間はいるか?人間はいるか?」
 宮沢は、無理やり目を開ける。素肌にコートを羽織っただけの格好の女が、彼の左横を走りすぎていく。昼間なのに手にライトを持ち、学生や教員の顔に光を浴びせていく。
 リッチ先生か、相変わらずディオゲネスの霊に取りつかれているのか。やれやれだ。宮沢は、ため息をつく。
 狂人のように走り回っているリッチは、宮沢の勤める大学の教授であり、哲学を教えている。リッチとはアンデッド系の魔物娘であり、死霊魔術の使い手として知られる。死体を甦らせ、あるいは霊を呼び寄せることが出来る。彼女はその能力を使い、哲学者の霊を呼び寄せて講義をするのだ。
 ただ彼女は、体を乗っ取られることがあるのだ。犬儒派哲学者ディオゲネスは彼女を気に入ったらしく、しばしば彼女の体を乗っ取る。
 まあ、学生と一緒に集団オナニーをしないだけマシか。宮沢は苦笑した。

 宮沢は、魔物娘の創設した大学で准教授として勤めている。教えているのは法思想史だ。彼の勤める逢魔大学は、教員と生徒の大半は魔物娘だ。彼のような人間の教員は少ない。日本に魔物娘が暮らし始めて二十年ほどになるが、魔物娘の創設した学校に入ろうとする人間は限られる。
「リッチ先生は、今日も弾けていますね」
 宮沢に凛とした声がかけられる。振り返ると、二人の教え子が立っていた。一人は首を外すことの出来る魔物娘デュラハン、もう一人はリッチ同様に血色の悪いゾンビ娘だ。声をかけたのはデュラハンのほうだ。
「君たちは、リッチ先生の講義をとっていたね」
「はい、おかげで恋人が出来ました」
 デュラハンは、苦笑しながら言う。
 宮沢は失笑する。四ヵ月前に、ディオゲネスに体を乗っ取られたリッチは、心理操作により生徒を操った。そして三号館と四号館の間にある広場で、生徒と共に集団オナニーをしたのだ。たちまち教員と生徒が殺到し、乱交騒動になったのだ。
 この集団オナニーにデュラハンたちは参加し、騒動をきっかけに恋人が出来たのだ。こんな騒ぎになったにもかかわらず、リッチは教授を続けている。魔物娘の創設した学校では、この程度のことは大した問題にはならない。週刊誌やワイドショーは騒いだが、魔物娘たちはかえって喜ぶ始末だ。
「それで、その恋人はどこにいるのかな?」
 デュラハンとゾンビは、いつも恋人と共にいる。だが、今はいない。
「図書館にいますよ。刑法総論のレポート期限が迫っていますから。私たちがいると差し支えることがありますから」
 なるほどと、宮沢は笑いながら言う。彼女たちに精を絞られては、レポートを書くことは難しいだろう。刑法総論を教えているのは、時間に厳格なアヌビス法学部長だ。彼女たちと恋人たちは法学部の学生であり、刑法総論は必須科目だ。
「私は学部長に呼ばれているのだよ」
 宮沢の言葉に、デュラハンはお疲れ様ですと苦笑する。アヌビス法学部長は、魔物娘の中では珍しい堅物だ。アヌビスはウルフ種の魔物娘であり、生真面目で几帳面なことで知られている。それは、真面目なことで定評のあるデュラハンに輪をかけたほどだ。アヌビス法学部長を苦手とする魔物娘は多い。
 宮沢は、それをきりに二人と分かれようとする。だが、ゾンビの様子がおかしいことに気が付く。体が小刻みに痙攣し、震える唇から唾を飛ばしている。どうしたと声をかけると、頭を前後に振り始める。
「それが、キマイラ先生の現代思想講義を受講してしまったんですよ」
 デュラハンの答えに、それはまずいと宮沢は口走ってしまう。二人はゾンビをなだめようとするが、ゾンビは弾けてしまった。
「ポストがモダンで、エクリチュールの戯れが差異でヤンデレだよー!マルチチュードは、赤い旅団と一緒にネットを使って帝国を乗っ取るよー!ロールズのじいちゃんとノージックのじじいがど突き漫才をして、トマトジュースをこぼして海が真っ赤っ赤だよー!その海でサンデルのおっちゃんが泳いでるんだよー!」
 ゾンビは、踊りながら口走っている。
「脳が傷んでいるのに、キマイラ先生の現代思想なんか受講するからこうなるんだ」
 宮沢はため息をつく。
 キマイラは、人間の体に獅子、竜、山羊、蛇の体が合わさった魔物娘だ。体が合わさっているだけではなく、複数の人格が同居している。そのために言動が支離滅裂になるキマイラもいるのだ。
 キマイラ教授の現代思想講義は、エキセントリックなことで学内では有名だ。実存主義の立場からヘーゲルを批判したかと思うと、構造主義の立場から実存主義を批判する。そうかと思えば、ポスト構造主義の立場から構造主義を批判し、その最中にアラン・ソーカルが乗り移ったようにポスト・モダン批判を始める。ただでさえ訳の分からない現代思想が、
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