Vanity or sanity

 身を焼く背徳。
 押し込めた少女。
 蝕まれる僕。



「具合……悪いの?」
 汚れた口元を濯ぐ僕に、イヴが心配そうに訊いた。イヴからすれば、目の前の相手が突然吐いたのだから、そう訊くのも無理はない。僕は具合どころか、心持ちも決まりも全てが悪かった。最悪だった。だが、イヴに無闇に心配させたくもなかった。僕にそう思う資格は無いかもしれないが。
「大丈夫……大丈夫だから。朝ごはん、食べるんだろ? 行こう」
「でも……」
「遅れそうって言ったのはあんただろ? ほら、早くしないと」
 僕は作り慣れていない顔で微笑み、これ以上イヴに追求されないように急かした。イヴは釈然としていなかったが、要らぬ心配をするよりはマシだと僕は思っていた。僕はイヴの背中を押す様にして階段を降り、食堂へ向かう。
 ナイフやフォークが皿とかち合う。宿泊客が楽しげに談笑する。僕はそれらの音を何ともなしに耳に入れながら、イヴと並んで朝食を摂っていた。同時に、昨日を咀嚼していた。
 ……経緯はどうあれ、僕はイヴを犯してしまった。だが、イヴ本人はそれを覚えていない。ならば、僕には悔やんでいる暇すら無い。旅は既に始まっている。そして、これは途上で止めていいものでもない。僕がこれからしなければならない事とは……
 一階の食堂で朝食を摂る最中、僕を見ている者が居ることに気が付いた。僕は気付いていないふりをしていたが、その視線が何を意味しているのかは痛い程に理解していた。僕を刺している視線は、いずれも僕達の部屋の隣に宿泊している者からだった。昨晩の過ちが聞こえていたに違いない。今の僕には丁度良い辱めだった。イヴは恐らく、僕に視線が向けられていることには本当に気付いていなかったと思う。
 僕は見られていることを気にしているわけではなかったが、朝食は何を食べても味が分からなかった。そもそも、朝食に食べたものは何だったのだろうか。僕達は食堂を後にして、宿を出る準備のために部屋に戻った。
「イヴ、本はどうなってる?」
 僕が絵本について尋ねると、イヴが絵本を手に取ってページを捲り始めた。程無くして、イヴの表情が明るくなる。
「新しいページが描かれてるよ!」
 そう言ってイヴが僕に手招きをした。僕はイヴの後ろから本を覗き込んだが、絵本は昨日僕が見た時点から描き足されていなかった。……昨晩のことは綴られていないらしい。流石にそのまま描かれたら道徳的に良くないと思うが、幾らか婉曲されて描かれているのではないかと考えていた。僕の予想は外れたようだ。だとすれば、この本は僕達の行動と連動しているわけではないのだろうか。僕達が見ていない間……具体的にいつ描かれているかも分からない。そもそも、独りでに描かれていく本など、聞いた事すら無い。
「イヴ……あんたって、どこに住んでたのかは覚えてるのか?」
「ううん。でも……とっても楽しいところだった気がするの。どうして?」
「覚えてれば、イヴの両親を探すのも楽になるだろうし」
 イヴがどこに住んでいたかを覚えていれば、この旅ももっと気楽なものになるだろうに、当然そう都合良くはいかない。けれども、イヴは一つのヒントを僕に与えてくれた。そこは楽しいところだったと、彼女は言う。ヒントと言うには曖昧すぎて僕には中々想像が付かなかった。しかし、この本から推測するのだとすれば、一つ候補がある。イヴの言う楽しいところと、この面妖な魔法が掛かった絵本を組み合わせると、ある可能性が見えた。
「……ヴェルドラかもしれないな」
「べるどら?」
 これは街の名前なのだが、記憶が無いイヴは当然それを知らない。小首を傾げてオウム返しをするイヴに、僕は説明を続けた。
「ここから北の、アルマリークっていう国の中にある街だ。魔法の研究が盛んで、それを活かしたテーマパークなんかもある。覚えていないか?」
「……ダメ。思い出せない」
「そうか……けど、取り敢えずはそこを目指すから。いいね?」
「うん」
 イヴの楽しいところという記憶と、絵本が独りでに書き足されていくという、恐らくは魔法の仕掛け。これらを総合して判断すると、イヴの出身地候補は世界でも有数の魔法都市として名高いヴェルドラが僕の中で挙げられた。
 イヴ本人はピンときていないが、現地に到着してみれば、手掛かりの一つは得られるかもしれない。彼女もヴェルドラを目指す事には頷いてくれた。
 ……僕は何としても早くイヴの両親を見つけ、彼女の在るべき場所を探しださなくてはならない。僕はイヴの傍に居られるような人間ではないのだから。彼女が見たいという世界は、彼女の両親に見せてもらえば良い。きっと、その方が彼女は幸せなんだ。
「よし、出発だ。これを付けてみてくれ」
「何これ?」
 イヴ本人は昨日の出来事を覚えていない。それはある意味では
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