爆ぜる暖炉の薪。
忙しく駆け回る少女。
寝返りに軋む寝床。
結局、僕はイヴの家で怪我が治るまで静養する事になった。イヴの両親が居るにしろ居ないにしろ、少なくとも外に居るよりは安全である事に変わりは無い。どちらにしても僕はこの家に潜む事を選択する必要があった。
イヴが一人でこの家に住んでいるとなると、家主も当然イヴ以外には有り得ない。居候の要請もイヴにしなければならなかったが、当のイヴは僕が居候する事を寧ろ喜んでいた。僕が怪我が治るまでこの家で休ませてくれと頼むや、イヴは、
「それって、わたしとエリスが一緒に住むってこと?」
「まぁ、怪我が治るまでは」
「わたし、ひとりじゃなくなるのね!やったー!」
と、一頻り喜んだ後に快諾。僕は、とんとん拍子でリビングにあるベッドに案内された。作りは粗末で、サイズもあまり大きくない。僕は確かに傷を治すつもりでこの家に来たのだが、このベッドを使う事は躊躇われた。何故か。
この家の住人はイヴしかいない。そうなると、各々の家具も一人分しか無いと考えるのが妥当だ。テーブル、クロゼット、椅子、そしてこのベッドも。……要するに。このベッドはイヴが使っているものだ。流石の僕も、女性のベッドを無遠慮に使うほどデリカシーに欠けてはいない。
当然、僕は丁重に断ったが、イヴもイヴで「怪我人なんだから遠慮せずに休んで」と食い下がる。押し問答の末、とうとう僕は根負けしてこのベッドに押し込められてしまったのだった。
ベッドは思っていたよりも柔らかく僕を迎えた。別段寝心地は悪くなかったのだが、僕がここで寝ている限り、仄かに甘い香りが僕の鼻腔を擽り続けるのが難儀でならなかった。言うまでもなく、これはイヴの匂いだ。
矢張り、僕は今の今まで眠る気にもなれず、時折寝返りを打ってはギシギシと軋むベッドの音に耳を痛めていた。
イヴは、先程から落ち着き無く部屋中を歩き回っている。
「…イヴ。僕の事なら別に気にしなくても…」
「いいの!わたしがエリスの面倒をみるんだから!」
イヴは頬を膨らませた。一人前に責任を感じてムキになっているが、テーブルの周りをぐるぐる回っているだけなのに、面倒を見るも何もあったものではない。
僕はそれは面倒を見るとは言わないと指摘しようと思ったが、彼女のなけなしの責任感を無下にするのも大人げなく思われた。そこで僕は思いついた。イヴという不明瞭な存在を少しでも知るきっかけになる事を。
「……僕は今心細いんだ。誰か話し相手になってくれる人が欲しいんだけど」
「ほんとう!?じゃあわたしがなってあげるね!」
僕の言葉を受けて、ころりと表情を変えるイヴ。子供だからこそ成し得る、感情の豊かさ。成熟した大人では、こうはいかない。
「ありがとう。じゃあ、さっきはあんたが僕に質問したから、今度は僕があんたに質問するんだ。それでいい?」
「うん!何をきくの?」
僕の本音も知らずに、イヴは期待の眼差しで僕を突き刺してくる。何を訊いてくるのか楽しみでならないといった表情で。
これは既に何度か感じていた事だが、イヴを利用するに当たって、僕の思惑通りに事が運ぶ度、僕は胸の奥が針でつつかれている様な痛みに襲われる。
それは、イヴが純粋すぎるが故だ。イヴが猜疑心を知らない箱入り娘であるという事は、彼女を知って間も無い僕でも分かる。僕が巧く唆しさえすれば、僕が命じた行動がイヴの倫理観に障らない限り、彼女は恐らく何だってしてくれるだろう。僕は澄んだ水に汚泥を流入させている様な気がしていた。
それでも、僕はイヴを知らなければならない。これは僕の自衛でもある。イヴが僕を堕落させる存在ではないと、完全に決まったわけではないのだから。
「イヴは、この家に住み始めてどれくらいになる?」
「うーんと…一週間くらい?」
「気が付いた時って、あんたはどこにいたんだ?」
「この家のベッドで寝てたの」
「服の替えはある?」
「あるよ」
「この家に食べものはどれくらいあった?」
「いっぱい!」
「倉庫か何かがあるのか?」
「うん」
「料理は出来る?」
「たまに失敗しちゃうけど、できるよ」
「怪我の手当ても、やり方を分かっていたのか?」
「うん」
「…すごいな」
「えっへん!」
僕はイヴにした質問の返答から、彼女についてある程度の仮説を立てた。イヴが覚えている限りで最も古い記憶は、この家のベッドで寝ていた事だ。そして、イヴは予め拵えてあった衣食住があったとは言え、たった一人で一週間生活している。少なくとも、イヴには見た目によらずそれだけの知識があるという事になる。
イヴは記憶を失っているが、その原因は第三者によって記憶を封じられたと判断した方が自然だ。
記憶を封印した上で山奥の小屋に一人残して去るだけの動機が、その者にあったのだろうか。そうだとすれ
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