勿忘

いつの頃からだっただろうか。
僕の部屋には、一つの箱が置いてある。
片手で持てるくらいの小さな箱で、蓋は南京錠で閉じられている。
南京錠と言うと、前部や底部にある鍵穴に鍵を挿して開けるものが一般的だが、この小箱に使われているものは特殊だった。淡い虹色で、前部に小さな穴が複数開いているのだ。材質も妙で、見た目や手触りは不透明な硝子に近いが、それにしては頑丈で、ちょっとやそっとの衝撃では傷一つ付かない。
僕は箱の中身が気になって、どうにかしてこの特殊な錠の鍵を探そうとしたけれども、家中を探してもそれらしいものは見つからなかった。尤も、どんな形の鍵なのかも分からなかったので、当然の事ではあったが。
錠があるのだから、鍵はきっとどこかにあるはずだった。しかし、見つからなかった。そもそも僕はこの箱をどうやって入手したのかもはっきりと……いや、全く覚えていなかったのだ。
中身が分からず、開ける鍵も見つからない箱。僕はこれを捨てようかとも思ったが、不思議な事に、これは捨ててはいけないものの様な気がしていた。





濾過して不純物を取り除いた青色の液に、赤い薬液を滴下。間を置かずに手早く容器を10秒ほど振り、軽く撹拌する。液が混ざったのを確認したら、白い粉末状の薬品を加え、更に熱しながら撹拌を続ける。色が鮮やかな薄紫になったら、容器を水に付けて冷やす。粗熱が取れたら瓶に移して完成。
朝から始めていた作業を終える頃には、数時間が経過していた。
調合はあまり好きではないが、比較的安全に生計を立てるとなれば、避けては通れない道だ。
調合によって作成した薬品類を、街に繰り出して売り捌く。危険を冒して用心棒などをするよりは、よっぽど安定する方法だ。
用心棒として戦うのは同じ人間……ではなく、殆どは街の外を徘徊している魔物。
教会の連中は魔物は忌むべき存在だと言っているが、僕はそれに同意する事は出来ない。僕は連中の言っている事が嘘だというのを知っている。無論、魔物は人間を殺しはしなくとも、連れ去って自らの伴侶とする点では非常に厄介だ。僕だって見ず知らずの奴に勝手に貞操を奪われたくはないし、襲ってきたら撃退も吝かではない。だが、魔物の中にも話の通じる奴もいないわけではない。少なくとも、人間が躍起になって殲滅するような種ではないと僕は思っている。
因みに、僕はこの考えを人に話した事は無い。話す者がいないし、いても理解が得られるかどうか分からないから、話そうとは思わない。
こんな街外れの辺境の地にまで足を運んでくる人間は少ないが、僕はこの環境を窮屈に思った事は無い。
一人で、好きな様に魔法の研究をして暮らす。とりわけ、反魔物思想の強い両親から離れた生活は、自分が予てから思い描いていた通りにとても自由で気楽なもので、半ば絶縁気味にでも家を出てきて良かったと思っている。
勿論、生計も自分一人で立てなければならないが、子供の頃から徹底した教育を受けていた事もあって、魔法学や薬学については生活に使えるだけの知識は持っていた。
こればかりは由緒有る魔術師の家柄だった事を感謝しなければならない。
両親は魔物が嫌いだったが、魔術師としての腕は一流で、僕も小さい頃は憧れの的にしていた。両親が言う事にも何の疑いも持たずに従っていたのをよく覚えている。
両親の教えは自我が形成されてきた僕には束縛にも感じられた。けれども、今は自由だ。僕を縛るものなんて何も無い。僕が何を考えたところで、それを咎める者はいないのだ。

今日の分の薬品作成は終了したので、売り出しや買い出しも兼ねて街へ行こうと考えたが、外から聞こえてくる雨の音で気が削がれた。
街へ行くのは明日にするとして、ならばこれから家の中でどうするのか。
頭を掻きながら思案していると、大きな欠伸が出て、そこで昨日はあまり寝ていない事に気が付いた。つい研究に夢中になりすぎて、寝るのが遅くなってしまったのだ。
今は時間的にも、一眠りするには丁度良い。僕は思い立つと、家の中の戸締りを確認した。そして、家に張ってある結界を張り直した。魔物が家の中に入って来れない様にするためだ。僕の家は辺境にあるので、魔物が入り込んで僕を連れ去る事も考えられた。その対策としての結界だ。多少大掛かりではあるが、僕の魔力であればそう難しい事ではない。寝る前の用心を済ますと、僕は軽食を腹の中に収めて寝室へ向かった。
寝室のベッドへ仰向けに身体を預ける。横を向けば、ベッドのすぐ傍に置かれた机の上にあの箱が目に入る。
僕の研究とは他でもない。この不思議な箱を開ける為の研究だ。
僕はこの箱を魔法で無理矢理開けようとした事があったが、この箱には相当な量の魔力が込められている。この込められた魔力というのがまた不思議で、分析した限りでは魔物のものと人間の者が混在しているの
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