遥か聞こえる鐘の音。
平原を伝う追風。
振り向けばそこに君。
都市へ向けて舗装された道を僕達は歩く。追風は僕達の足取りを軽やかにしてくれているが、その温度は少し冷たい。昨晩は今の季節にしては珍しく冷え込んだから、イヴが体調を崩していないかどうか心配だ。
「へっくし!」
「大丈夫? きのうは寒かったから……」
「大丈夫だよ……はは」
自分の心配もしておかなければならないようだ。僕がイヴに心配されていては彼女に面目が立たない。
野営地を畳んで朝から歩き始めて暫く、目的地は見えてきた。アルマリーク共和国首都、魔法都市ヴェルドラ。一週間の旅路など、勇者していた頃は大した時間に感じなかったはずだが、僕が想像していた以上に子連れというのはままならないものらしい。集落を出てからはイヴの調子も良く、愚痴を垂れることもなく平穏に進んでくれた。
しかし、その平穏は一抹の疑問を運んでくる。勇者の頃と比べて、魔物の襲撃が極端に少ないことだ。恐らくは、傍にイヴという魔物がいるからだろう。魔物は、狙う男性が既に魔物と結ばれている場合には手を出してはならないという暗黙の了解があると聞いたことがあるが、この場合僕の相手は彼女ということになるようだ。魔物から見れば、身体が成熟しているかどうかは二の次なのだろうか。要らぬ面倒事が起こらないのは有り難いことだが、些か複雑な気分ではある。ハンスなんかに聞かれたら小突かれそうだが、何か周囲の魔物を騙しているようで気が引ける。そもそも魔物と行動を共にしている時点で大概だが。
「エリス、あれ」
後ろを歩くイヴが前方を指差す。彼女にも見えたらしい。彼女が指差した先には、最上部に取り付けられた巨大な鐘が目を引く、円錐状にそびえる巨大な建造物。そして、そこに並び立つ雄大な観覧車。あと一刻も歩けば到着するだろう。
「ああ、あれがヴェルドラだ。もうひと踏ん張りだね」
「うん」
子供の順応力とは目を見張るもので、最初に比べれば、イヴの文句も大分減ったように思う。最初は歩くのが疲れただの野宿は嫌だの言っていたのを考えると、目覚ましい成長だ。保護者もとい同行者としても感慨深いものがある。
「ね、エリス」
ヴェルドラに着いたら労いの一つでもしてあげよう、そんなふうに考えていた矢先だった。
「どうした?」
「パパとママ、いるかな」
その言葉と同時に遠くの街の鐘が高らかに鳴り響き、その鐘のように心を撞かれた。鐘の音が身体の内側へ滑り込むようにして響き続けている。本人にとっては何の気なしの質問だろうが、そんな感覚がした。
「……いるよ、きっとね」
少しだけ意識を奪われたが、すぐに言い返した。そうでなければ、僕も困るから。
昼前の綿雲は、その追い風に流されてゆく。
ヴェルドラの雑踏はこれまでの街や集落より熱っぽくて、甘ったるい。魔物との交流が盛んであるだけに、道をゆくカップルの数もこれまでと比べて段違いだった。前に来たときよりも多く感じる。多分、もう一年もすれば魔界化するだろう。
イヴが今にもあの人たちの真似をしよう、と言い出しそうで気が気でないが、珍しいことにその様子は今のところ微塵もなく、寧ろいつも以上に静かなくらいだ。事が円滑に運んでくれるならそれに越したことはないが、何かが足りない感じがする。彼女がこういった場所で賑やかになるのに慣れてしまった所為だろうか。
「前より、雰囲気が緩くなってる気がする。魔物の数も増えてるみたいだ」
結局、静かな彼女に代わって僕が騒ぎだすのだった。
「前って?」
「ハンスって人と一緒にね。彼は魔物が嫌いな人だから、落ち着かなかったみたいだけど」
「エリスのともだちなの?」
「ああ」
「二人で来たの?」
「そうだ。あの時はハンスが倒れて……」
「そうなの」
質問とイヴの口調に違和感を感じた。いつも通りに思えるが、何か重いというか、凄味の利いた感じがして、質問というよりは詰問されているような気がした。
「イヴ? 何か気になることでも……」
「何でもないよ」
立ち止まり、彼女の方へ向き直ってみても、言葉を遮るようにしてすたすた前を歩いていってしまった。明らかな態度の変わりように思わず目を丸くする。
つんとした表情といい、原因は分からなくもないが、どうやらイヴが不機嫌になってしまったのは確かなようだった。
「エリス、おいてっちゃうよ」
「ご、ごめん」
ずんずん歩いていくイヴに急かされて、止まっていた足を慌てて動かす。歩く動きに合わせて小さく揺れる背中を見ながら、可笑しいような嬉しいような複雑な心持ちにさせられた。そういえば前にもエリスはわたしのものだとか、そんなことを言っていた覚えがある。親しい人間が周囲にいなかった分、それに対する独占欲が強く出ているのかもしれない。
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