その時、その国は滅亡の憂き目にあった。
否、正確には滅亡ではなく崩壊である。
敬虔で貞淑であるはずの女達は淫婦のごとく乱れ、男達は欲望のまま女達を犯し、魔物が跳梁跋扈して堕落した人間を連れ去る。
皆の規範となるべき神父やシスターまでもが魔に侵され、堕落し、民の支えとなるべき信仰さえもが根底から崩れ去ろうとしていた。
しかし、神は我らを見捨ててはいなかった。
天より御使いが遣わされ、その御力と御威光とで魔を祓い、堕落を駆逐したのだ。
魔の侵攻により暗雲が立ちこめていた王都に再び光が差し込んだのだ。
御使いは今も降り立ったその場所に留まり、その御威光でこの国を護り続けて下さっている。
―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
くしゃり、と都合の良いプロパガンダの書かれた紙切れを手の中で握り潰して近くにあった屑篭へと放り込む。
私が人間界に降りてから、既に十五年以上の月日が流れていた。
降り立った地で運命に導かれた一人の人間を待つように父に仰せつかってから、既にに十五年の月日が流れたのだ。
待ち人は未だ現れず、私はこの地に縛られ続けている。
「御使い様!」
私を呼ぶ声が聞こえる。後ろを振り返ると、見慣れた顔があった。
「神官長…」
「貴方のような大事な御方がこのような場所に来てはなりません! ささ、私達と共に戻りましょうぞ」
「…はい」
物々しい戦衣装に身を包んだ神官兵達に囲まれ、半ば連行されるかのように私が最初に降り立った地――元は王城の中庭であった聖堂へと連れ戻される。
当初は私を敬い、丁重に扱っていたはずの人間達はいつしか私を聖堂という篭の中に閉じ込めていた。
――今の私は篭の中の小鳥だ。
自由に出歩くことも適わず、使命を果たすために運命に導かれた者を探しに行くこともできない。人目を忍んで聖堂から出ても、すぐにこうして連れ戻されてしまう。
私は知っていた。この国の王や目の前にいる神官長が私という存在を国益のために利用しているということを。
やはり、人間界は穢れに塗れた場所であったのだ。
私の力も随分と衰えてしまった。それはつまり、私自身も人間界の穢れに染まり始めているということに他ならない。
「…お父様」
今日も祈りを捧げる。
罪深き人間と、穢れに染まりつつある私をお許しください。
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神の計画はそもそも最初の一歩で狂ってしまっていた。
本来、降臨と同時に出会うはずだった天使と選ばれし者とが出会うことができなかったのだ。
完璧であるはずの神の計画が狂った原因はようとして知れない。
神をも翻弄する運命の悪戯か、魔の勢力の干渉か、それとも無知で愚かな人間の所業か。
――あるいは、その全てが重なったのか。
しかし、十五年の歳月を経てついに魔の側へと傾いていた運命の天秤がにわかに神の側へと傾き始めた。
選ばれし者と、天使とがついに邂逅したのである。
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その日、私はいつものように聖堂で父への祈りを捧げていた。
この聖堂は私を閉じ込める鳥篭ではあったが、それでもやはり聖堂には違いなかった。父に祈りを捧げるのに相応しい空間ではある。
「彼らの罪をお許し下さい…彼らの罪を、お許し下さい…」
ここ数年間、私の祈る内容はいつも同じだ。
国のため、民のため、より多くの人々に父の威光を知らしめるために『彼ら』は私を利用している。
私がこの国に降臨したことを理由に『我らの国は神に選ばれた国である』と各国に吹聴して回っては父の威光を振りかざしている。
それもこれも私が父に賜った使命を果たせず、流されるままにこの場所に居続けているせいだ。
私という存在が、彼らに罪を犯させている。
一番罪深い存在は、私なのだ。
だから、私は私の罪に対しする許しを父に請うことはない。
私が全ての罪の元凶なのであれば、私はその全ての罪を一身に背負わなければならないのだ。
(お父様…)
口には出さず心の中で父を呼び、私は懇願する。
(罪深き私に罪を贖う機会をお与えください…使命を果たすための機会をお与えください…)
そう祈り、そして祈りは通じた。
「選ばれし者…?」
待ちに待った選ばれし者の魂の鼓動を、私はついに捉えたのだ。
十五年もの間ただ祈り、待ち続けていた私は歓喜に震えた。これで私は父に託された使命を果たすことができるのだ。
私は急ぎ踵を返し、自らの手で聖堂の扉を開け放った。
「み、御使い様? どうなされたのですか?」
まさか私が自ら扉を開いて聖堂から出てく
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