「大丈夫、怯えることはありませんよ」
彼の頬についた傷を治癒の奇跡で癒して見せると、彼は傷があったはずの場所を手で触って驚きの表情を浮かべた。
多分殴られてできた傷なのだろう。誤解が招いた事態とはいえ、酷い事をするものだ。
「もう、痛くないでしょう?」
私の言葉に彼は嬉しそうに頷いた。
まるで純真な子供のような反応だ。少し可愛い。
「御使い様、その者は危険でございます。その者は常人であれば半刻と持たずに魔へと堕ちてしまう魔の森の中を、何の祝福も受けずに歩いていたのです。きっと汚らわしい淫魔の手先に違いありません」
彼を連行していた神官兵と同じように私を説得しようとする神官長の言葉を、私は首を振って否定した。
「いいえ、このお方は間違いなく選ばれし者。勇者様に間違いありません」
私はそう断言し、戸惑っている白い彼の蒼い瞳をすぐ近くから覗き込む。
近くで彼の顔を見てみると最初に得た印象よりも幾分幼く感じた。もしかしたらまだ成人もしていないかもしれない。
(この子、記憶が…? 何故?)
瞳の奥から彼の記憶を探り出そうとするが、何も探り出すことができない。
何故か森を歩いていて、すぐに神官兵達に取り押さえられた。
彼の記憶はそこから始まっている。
「しかし、その者が身に付けているのは残忍な化け蜘蛛が織った衣と悪しき樹精が編んだ靴! 汚らわしき魔物と通じているのは明白ですぞ! いつ御使い様のお命を狙うか!」
神官長は彼の身に付けている美しい衣と、蔓を編み込んで作られた丈夫そうな靴を指差し、そう捲し立てた。
その大きな声に彼がビクリと身を震わせる。
「神官長、彼が怯えてしまいますよ」
「む…失礼しました」
激情を制御できずに声を荒げてしまった事を恥じたのか、神官長は一つ咳払いをしてから再び話し始めた。
「…御使い様の言葉を疑うというわけではありません。私どもに貴方様を疑うことなどできるはずがありません。ですが、その者を信じろと言うのは無理な話です」
「彼は、何も知りません。何が起こったのかはわかりませんが、今の彼は純粋な子供のようなものです。危険などありませんよ」
私は彼の頭を抱き寄せ、その美しい銀髪をゆっくりと撫でた。
彼の身体から少しずつ恐怖と、緊張が抜けていくのがわかる。
「この子を私に預けてはいただけませんか? 重ねて言いますが、私はこの子を導くためにこの世界に訪れたのです」
「どうしても、ですか」
「はい。どうしても、です」
私の揺るがぬ意志を理解し、神官長は長い溜め息を吐いた。
「わかりました…仰せのままにしましょう。ただし、その者と過ごす時は必ず護衛を付けさせていただきます。それが、私どもの最大限の譲歩です」
―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
――それから、私と彼の生活が始まった。
朝起きたら二人で父に祈りを捧げ、それが終われば聖堂の掃除をし、朝食をとる。
―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
「祈りとは私達にとって最も基本的なものです。父への感謝を伝えたり、父に許しを請うたり、父へ願いを伝えたりといったものですね。基本というのは一番大事なものですから、決して疎かにしてはいけませんよ」
そう言って、私はいつものように父への祈りを捧げる。
私と彼を出会わせてくださった慈悲深き父への感謝と、彼の健やかな成長という願いを込めて。
「……」
祈りを終えて横を見ると、彼はまだ祈りの姿勢のまま黙していた。
さすがは父に選ばれた勇者となるべき者だ。私も見習わなくて――
「Zzz...」
「…父よ」
必要な事とは言え、暴力を用いる罪深き私をお許し下さい。
―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
朝食が終わったら、昼までは勉強の時間だ。
彼は自分が何者なのか、といった自分に関する記憶を失ってはいたが、話したり、文字を書いたりすることはできた。
なので、勉強の内容は主には父の教えや一般的な教養(これは地上に降りてから私も習ったことだ)といった事柄だ。
それと並行して奇跡の行使や神聖魔法の講義も行う。
―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
「私達が行使する奇跡には大きく分けて二つの種類があります。一つは神の力の具現です。慈悲深き神の力を具現すればそれは癒しの奇跡となり、怒れる神の力を具現すればそれは魔を討つ雷となります」
私の言葉に彼は熱心に頷いた。
彼はこういった奇跡や神聖魔法の授業に関して強い関心を抱いている。良い傾向だ。
「もう一つは悪しき者を悪しき者たらしめている業への反証ですが、こちらは少し難しいお話になります。例えばそうで
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