「平和じゃあ……」
ブランチ一歩手前の時間帯で、窓辺に面した仕事机に突っ伏した少女がつぶやく。顔を机の表面に向かって伏せているので、若干もごもごと鈍い発音になっているが何となくそう聞き取れる。
すっかり春の陽気になった温かい六月の時期になってくると、仕事もせずにぼんやり日向で動かずにいるだけでも十分なくらい時間の経過が早く感じる。本当に依頼や仕事が無ければそれだけで数日経過してしまうくらい。
「平和は良い。何もしたくなくなる。この恒久の膣……秩序に乾杯」
頭はなおも突っ伏したままで、左腕だけ頭よりも高く掲げてサムズアップをする。一体どこの誰に向かって感謝しているのは見当もつかない。
「ぐでんぐでんですねユナさん」
背後にある台所のほうから聞き知った秘書の声が耳に入る。
のどかな昼の陽気と同じような、それでいてゆっくりしたい気持ちと競合しない当たり障りの無い音声が脱力と癒しを加速させた。
ジャーと水道から水を流す音がするので洗い物なり何なりしているのだろう。できる秘書を持つと非常に誇らしいものだ、とユナは心の中で呟いた。
「たまにはハードボイルドもお休みしないと疲れちゃうのじゃー。だからいいのじゃー」
突っ伏した状態から顔だけ右に向けた。右目左目の順に腕から黒一面の視界から見慣れた事務所の風景に視点が移ると同時に、鼻腔をなんともかぐわしき甘美な香りがくすぐる。
思わずユナは鼻から大きく息を吸い込んでから、むくりと上体を起こした。
直後、有能な秘書が台所から声をかける。
「ユナさーん、ココアできましたよー」
「おぉ! さすがカメリア、気が利くのう!」
トレーで運ばれてくる甘味の誘惑に負け、だらだらとしていた先ほどとは打って変わってユナはバネのように飛び起きた。
カメリアの持って来た湯気も立っているアツアツのカップに手を伸ばそうとした。
その時。
「たのもー!」
「あばかーむ!」
それはもうびっくりするほどの勢いで、蹴破ったのかと勘違いするほどに大きな音を立てて二つの声が飛び込んできた。元気の良さと少女とおぼしき声であるため、訪ねて来た者の正体を想像することは容易であった。
ちなみに肝心の所長と秘書はどうなったのかといえば。
「うひゃあ!」
予想外の招かれざる客が来たことで面食らって盛大にトレーを傾けてしまい。
「ウボァー! 熱っ、甘っ! おいこらカメリアッ!!」
「ひゃああああユナさんすいません!!」
ユナが二人分の甘い熱湯と胸の辺りから思いっきり浴びることとなった。
手で体にかかったココアを熱そうに払いながら、かたやカメリアは慌てふためきながら手近な布でこぼした床を拭き取りはじめた。
「おー、なんだか騒がしいですぞお姉ちゃん」
「にぎやかなのは良いことです、妹」
相談所とは思えない喧騒を従業員達が演じているなか、訪れた二人の少女は非常に冷静かつナナメ上からの意見をお互いの顔を見ながら発した。
甘ったるい騒動が治まるまでの間、その場でニヤニヤしながら珍しいものを見るように傍観する展開は、その後2分少々続くことになる。
◆ ◆ ◆ ◆
「で、アレじゃ。わしがここの所長のユナカイトじゃ。こっちは秘書のカメリア。なんか悩みがあって来たんじゃと思うが、何でも言っていいぞ。あとドアは静かに開けろ」
先ほどのやたらめったらうるさい展開がウソのように、できるだけいつもの冷静さを取り繕ってユナは話した。
しかし、応接室のイスに座っているが、首にはふわふわした淡いピンク色のタオルがかけられ、小さな体からは石鹸の香りが漂っている。ココアを洗い落とすために軽くシャワーを浴びたという点のみがいつもと違っているくらいか。
小声で『わしの玉のようなお肌がヤケドしたらどうするんじゃアホ』とか、その横から『すいません……』という掛け合いが聞こえてくる。
「なんでも良いって言っておりますぞお姉ちゃん」
「なんでも良いなら思い切って言ってみませうか妹」
対面にいる二人は互いの顔を見合わせて、またユナのほうを見ると、なんとも掴みどころの無い言葉を飄々と言った。
ドアをぶち破って入ってきたのはゴブリンの姉妹だった。顔とか、赤髪を耳の脇でそろえたような髪型はまったくと言っていいほど同じだが、微妙に姉のほうが身長が高いので見分けるのは容易だ。
「じつはですね」
両手をヒザの上に置き、まず頭一個分背の低い妹が切り出した。
「お姉ちゃんがバカなんです」
「いえ妹がバカなんです」
即座に真顔で姉のほうも似たようなことを言う。意外だったのか、妹のほうはそれを聞いてむすっとした顔になり、姉に言い返
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