ヴァンパイアといっしょ

チチチと鳥の声が聞こえる。
今日も朝がやってきたんだ。
私は暑苦しいドレスを脱ぎ捨てて、糸一つ纏わない姿になる。
ベッドの横に置いてある器の蓋を取り、白い軟膏を人差し指で掬い取る。
ぬるりとしたその軟膏を二の腕につけて掌で薄く延ばし腕全体に広げていく。
もう一度掬い取り、また広げる。
指先までしっかりと軟膏を塗ると、次は反対側の腕にも軟膏を塗る。
首、胸、お腹、太もも、足先。
背中を塗る時は何時も通り、軟膏の器を手に取り彼女に渡す。
「じゃ、背中もお願い」
「畏まりました」
ずっと一言も発しないで傍に立っていた私専用の使用人、パルパが軟膏を手に取り背中に塗っていく。
長くて鬱陶しい髪は軽くまとめて手で押さえている。
冷たい彼女の手が軟膏を塗り終えると、すっと離れていく。
最後に彼女から器を受け取り掬い取った軟膏を顔に塗り広げて、器をベッドの傍に置く。
クローゼットから簡素な下着を取り出す。
パルパが畳んでいる私の下着に比べれば飾りも少なく生地も厚い。
下着を身につけ、他の服も身につける。
「さてと。どう?」
「何時も通りです」
「それならよし」
長い髪を大雑把に革紐で束ね、灰色の底が浅い帽子を被る。
「行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ、ルリルファーシアお嬢様」
窓を開ける。
刺すようにまぶしい太陽が既にあがっている。
家族は皆寝静まっている頃だ。
「後はよろしく」
「お任せを」
いつもの様に窓枠に足をかけ、屋敷の窓から茂みに隠してある分厚いクッションへと飛び降りた。


格式高いヴァンパイアの一族の三女。
それが私、ルリルファーシア=ディア=ベルトラン。
新しい魔王になってからはお父様もお兄様もお母様やお姉様になってしまってから久しい頃、私は生まれて始めて人間というモノを見た。
今までワイングラスに注がれた血でしか人間とは触れてこなかった。
見た目はヴァンパイアの様で、けれどヴァンパイアよりはるかに弱く、そして瞬きをするほどの時間しか生きる事が出来ない。
優雅に紅茶を飲んで気づけば寿命で死んでしまうほど、短命な存在なのだとか。
私は生まれてこの方、人間というものに興味を抱いた事が無かった。
でも父様が母様になり、パルパの肌綺麗になって話すことができるようになり、そしてヴァンパイアが人間に血以外のものを求めるようになってから、少しずつ私たちの人間に対する感情が変わってきた。
貴族が下賎な人間と交わるなど愚かしい。
今でもその風潮はあるけれど、一部ではインキュバスとなって貴族の仲間入りをした元人間との甘い生活に浸っているヴァンパイアもいるとか。
噂を嫌うヴァンパイアの間でさえ話に上るほどなのだから、実情は人間との交流や色恋沙汰もあるのだろう。
そして私も人間が気になった。
だから私は人間を見る事にした。


町は魔物が人を殺していた頃の名残で高い石の外壁に囲まれている。
でも外壁のある部分だけは石をどかせば町の中に通じる穴が開いている。
大人は入れないけど、細身の私ならぎりぎり入ることが出来る。
帽子を頭で押さえながら狭い石の穴を潜るといつもシャンプーと香油で綺麗にした髪が土で汚れてしまうけど、町娘に化けるならコレぐらいでちょうどいい。
そう、私はいつもこの町に人間として遊びに来ている。
服装も町でコツコツと購入した物を着ている。
なめし方荒い革の財布に硬貨を何枚か入っているのを確認して、いつものパン屋でパンを買う。
自分の顔ほどはある楕円形のパンを屋敷では出来ないような食べ方、大きく口を開いてかぶりつき、そのまま噛み千切る。
堅いパン生地を噛み解し、ごくりと喉を鳴らして飲み込む。
二口目を食べながら広場の噴水にたまった水に手を入れ、手で水をすくって喉を潤す。
噴水の縁に腰掛ける。
屋敷の中に流れる空気はとても静か。
歩く音は毛の高い絨毯が雪の様に音を吸い込み、話し声は長い廊下や広い部屋の空間に溶けてしまう。
でも町の中は音に溢れている。
チチと鳴き声が聞こえたと思い空を見上げると2羽の鳥が視界を横切る。
パン屋が焼きたてのパンを宣伝する声を上げて、その声に誘われた白エプロンの奥様方が財布片手にやってくる。
噴水の反対側にはリュートを手にした詩人が弦を弾きながら遠い町の話を歌い、町の子供や若い娘達は詩人を囲んでその話に聞き入る。
大通りの脇には様々な食べ物の屋台が並んでいて、荷馬車がカポリカポリと蹄鉄を鳴らして通る。
煩いほどの賑やかさは無いけれど、誰かが生きていて誰かが生活している。
その音が、声が、耳に心地よい。
パンの最後の一切れを口に入れる。
「ん。今日も遊びに行ってみようか」
長い裾のスカートを払うと、私は歩きなれた道を進む。

町には家が建ち、店が建ち、次から次へと建物が増えていく。
ここに新しい家を建てたい。
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