「君、また来たのかい?」
彼女は煙管の紫煙を燻らせると、いつもの様に疲れたような息をつく。彼女は別に仕事中というわけじゃない。暇を持て余しているだけだ。
「子供の小遣いで買えるようなものは置いてないよ」
見下す、というには害意のない目つき。さりとて好意的ではない。ただ、彼女にはよく似合っている目だと思う。紫草の魔女。彼女は昔からそう呼ばれている。濃い紫色の、魔女装束に身を包んだ女性。色気も飾りもない魔女装束だが、彼女の豊満な体に掛かれば別だ。地味な服を艶めかしい衣服へと変えてしまう。
「何度も言っているけどね。名を教えろと言われても、ねぇ」
彼女を知って、一目見た時からずっと、森の奥へ毎日通っている理由。それは、彼女の事をもっと知りたいと思ったから。それなのに、彼女はまだ名前さえ教えてくれない。
「君の年のころは、10を少し超えたぐらいだろう。村で都市の近い娘と話をする方がよっぽど君のためにもなる」
彼女は長い間、森の奥に籠っている。だから、一つだけ訂正をする。
「なに? 村はない。町なら、あると。ほぉ。あの小さな村が、ずいぶんと頑張ったものだな」
目を丸くした彼女は、遠くを見るような眼をして少しだけ笑みを浮かべた。その笑みの温かさに、また恋に落ちた。彼女は、本当に。
「悪い魔女、か? ふむ。君が口にすると、何とも色めいていて居心地が良くないな」
少し困ったように眉を寄せる彼女は、長い長い年月を生きてきたようには見えない、かわいらしさが垣間見えた。
「やれやれ。年上を、しかも魔女をからかう物ではないよ。私が一つ術を唱えれば、君などトカゲにでもしてやれるんだぞ」
キセルの先端をこちらに向けると、脅すように声音が低くなる。実際、彼女がやろうと思えば、簡単にトカゲになってしまうだろう。けれど、なぜだろう。彼女の傍に居られるなら、トカゲでも良いと思ってしまう。
「こら。私は恋まじないなどしてはいない。わかったら早く家に帰ることだ。もう日が落ちるぞ」
はい。ではまた明日。そう告げると彼女の店を出た。
翌日。また彼女のお店に来た。
「また来たのか。やれやれ」
今日の彼女は、何か分厚い本を読んでいた。
「表紙を見るのも止めておくといい。これは古い呪いの書でね。怨念が籠っている。下手に本に関わると、三日三晩悪夢にうなされながら死んでしまうぞ」
本当に?と好奇心がうずいて近づくが。
「やめなさい、と言ったはずだよ?」
刺すように鋭い視線。心臓を貫かれたような気分になり、足が止まる。
「好奇心は猫を殺すと言うがね。魔女に近づくと、好奇心で村さえ滅ぶ。その線引きを、決して間違えるな」
聞いたことのないような冷たい威厳のある声。古い魔女の声が、好奇心を絞め殺す。
「この店に来ること自体は、拒否しないでおく。だが、魔女の領域を軽んじることは許さない。わかったな?」
頷く以外、何も出来なかった。
翌日。また彼女の店に来た。
「やれやれ。脅しをかけたつもりだったのだけどね」
今日も彼女は本を読んでいた。近づいて良い物だろうか。店の入り口で、足が止まってしまう。
「ふむ。どうかしたのかな?」
彼女の問いかけに、答えが詰まる。近づいて良いのか、と聞いてしまってもいいのだろうか。何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
「やれやれ。若い時分では興味の移り変わりが激しいと聞くが。どうやら私は君に飽きられてしまったようだ」
とんでもない発言が飛んできた。慌てて否定する。
「しかし、君との距離はかなり開いているようだが?」
それは、と口ごもり。彼女の手にした本を見る。
「ふむ。魔術書に対する警戒心は身に着いた、と言うわけか。まだ魔術の入り口にも立っていないが」
ふと、昨日在った魔女らしい空気が無い事に気づいた。だからだろう。心が軽くなった。
「この本は近づいても良いのか、だと? ははは。駄目だと言ったら、どうするのかな?」
この距離で話をする。
「なるほどなるほど。私との距離を詰めたいが、魔術書との距離は開けたいと」
こちらの気持ちを全部知った上で、何ともひどいことをする。
「当然だ。私は、悪い魔女だからな」
何故か自慢するように彼女が胸を張る。
「これは魔術師見習いが読む、魔術に関わる注意事項を記載した本だ。うっかり呪いの遺物に触れて腕が溶けては困るだろう?」
そんなこともあるのか、とぞっとする。
「だからこれを貸してやろう」
近づいて、本を受け取る。これが、魔術師見習いのための本。
「その題名が、君の魔術師としての第一歩と思うといい」
この、本の、題名が。題名。だいめい。
「はじめは誰でもそうだ。畏怖を感
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