ねぇダーリン

男女の二人暮らし。
同棲生活。
こう聞けば幸せで甘酸っぱいものを連想するだろう。
しかし、同じ道を共に歩むというのは綺麗ごとだけじゃない。
苦味も渋味も含めて味わって、それでも共に歩みたいと思うこと。
だから、結婚というのは難しいのだという。

きっと、それは誰にとっても。




目覚ましのベルが寝室に鳴り響く。
と言っても、携帯電話から鳴り響く電子音だ。
電話の持ち主は音で目を覚まし、携帯電話を手に取って目覚まし機能を停止させる。
寝起きはあまりよくなかったようで、顔をしかめて顔をさすっている。
目覚めたのは床屋で短く髪を切ったばかりの青年。
毛染めを使用していない黒髪は寝起きと言うこともあって、ぐしゃぐしゃに癖がついている。
眠気を吐き出すように深呼吸をした青年は、ベッドサイドにかけているハンガーに近づいて服を着替え始めた。


「おはよ」
「おはよ」
リビングに出てきた青年は、エプロン姿の女性と簡単なあいさつを交わす。
寝癖がついたままの青年に女性が近づくと、クスリと笑ってキスをする。
「相変わらず朝が弱いのね」
「誰かさんのお蔭でね」
「ふふ。私は誰かさんのお蔭で今朝も絶好調よ」
握手の様に舌を絡めた後、女性が離れる。
機嫌よく背中の翼を広げた後、サキュバスである彼女は尻尾をくねらせて自身の口元に先端を寄せる。
ハート型にとがった先端にサキュバスがキスを落とす。
「愛されているって感じるもの」
「朝飯は出来てるか?」
「当たり前じゃない」
「沢庵は?」
「あるわよ」
「ジャムは?」
「イチゴジャム、ちょうどいい具合に出来上がってるわ」
一通り確認してから青年はリビングのいすに座る。
「よし」
今の確認は彼にとって重要なことであったらしく、テーブルの下でガッツポーズをしている。
それを見ずともサキュバスには彼の様子が分かっているようで、おかしそうに笑う。
「もちろん朝のコーヒーは」
「生クリームたっぷりだ」
「りょうかいりょうかい」

テーブルの上に朝食が並ぶと、二人は食事を始める。
スクランブルエッグとお味噌汁にミネストローネと白米。
洋風と和風がそれぞれテーブルに乗っている。
日本人である青年が和風、西洋風な女性であるサキュバスが洋風を食べるのか、というと違う。
青年は湯気の上がる白米にジャムを塗り、その上から味噌汁をかけた。
見る人が見れば顔をしかめる組み合わせにも拘らず、サキュバスは気にしていない。
サキュバスはトーストにマヨネーズとスクランブルエッグを乗せて食べている。
ジャムとみそ汁が混ざったご飯を茶漬けの様に青年が食べる。
一息入れた青年が生クリームの入ったコーヒー、いや、両者の比率からすればコーヒーを垂らした生クリームと呼ぶべきものをスプーンで掬い口に含む。
味が気に入らなかったのか、青年はその生クリームコーヒーにマヨネーズを絞る。
もう一口食べて納得した青年は、マグカップの中身を一息に食べ切る。
あまり一般的とは言い難い青年の朝食だが、彼女には慣れたものだ。
それでも「変だ」とは思っているようで、ため息交じりに笑って彼の食事を眺めている。
「ほんと、何度見てもおかしな食事よね」
「どうせ俺の人生は俺のものなんだ。色々試すのも俺の自由だろ」
自分の自由に生きる。
それが彼なりの信念なのだろう。
おどけることも語気を強めることも無く、ごく自然に彼は返す。
「変わり者ね」
「お前がそれを言うのか。変人サキュバス」
彼はサキュバスを見て心底呆れたようにため息をつく。
それを受けた彼女は気を悪くした風もなく、肩をすくめる。
「そうよね。ほんっと、変わっているからね、私も」

お互いに変わっている。
言外に同意し合うと、二人は楽しそうに食事を再開した。




食事のみならず、何かしら「やっていないこと」を試そうとする青年がいた。
アルバイトは多岐にわたる。
SEの手伝い、土方、新聞紙の配達、コンサルタント、遊園地のマスコット、飲食店の厨房係など。
他にも挙げればキリがない。
彼の経歴を見れば、何一つ長続きしない飽き性な人間だと思うだろう。
あるいはちゃらんぽらんと見るかも知れないし、短気ですぐ手を出す問題児と見るかも知れない。
自分に対する他の人の印章が悪くなっていることを、彼は自覚している。
彼は常識を知っているし一般的にどうあるべきかも知っている。
だが、そう言った当たり前の行動は取れないし、取ろうとも思わない。
ある時期を境に一般的な人間であろうとすることを諦めたのかもしれないが、それは彼本人にもわからない。
彼は20代後半になってなお、定職についたことがないまま新しいバイト先を探している。

自分は一人で生きていくし、老後のことなんて考えていない。
刹那主義ではない。
なるようになる。
今生きたいように
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