合縁奇縁

 自分がまだ小学生だった頃の話だ。
 男の子と女の子がいた。
 女の子は寡黙で、表情の変化に乏しかったが、才能に溢れ、何をやらせてもそつなくこなしてしまう万能性があった。対して、男の子の方は女の子に比べるのも烏滸がましい、謂わば凡才であった。ただ、不幸にも、負けず嫌いであった。それも飛びきりの。
 故に、彼はあらゆることで女の子と競い、勝とうと挑み続けた。
 学校のテスト、課題の消化ペース、計算問題、漢字の記憶力、絵の上手さ、かけっこ、水泳、トランプ、テレビゲーム……
 当然の如く、負け続けた。なまじそれまでの人生で敗北が極端に少なかったせいか、病的にまでしつこく、女の子に挑み続けた。
 女の子はその度に律儀に挑戦を受け続けては、圧倒的な才良で常勝し続けた。終始、無表情の彼女が何を思っていたのかは、きっと彼女しか分からないだろう。
 そんな日々がずっと続き、やがて2人も卒業するときがくる。2人の通う中学はそれぞれの事情で別々となる。つまり、お別れの時がきたのだ。男の子はこれが最後だとふんで女の子を川辺に呼び出し、得意な水切りの勝負を挑んだ。
 過去に、敗北した勝負だ。敗北したあと、男の子が水切りを嫌いにならずにすんでいたのは、きっとそれだけ好きだったのだろう。あの、本来沈むはずの石が、水の上を跳ねて飛んでいく、一見不思議な光景を見るのが、そしてそれを自分で成したという事実が好きだったのだ。これまでで、一番勝てる可能性を感じた勝負だ。逆に言えば、それ意外は勝ち負けに圧倒的な格差があった。故に、消去法でこれを選んだとも言えた。この日のために密かに練習もしていた。
 女の子はいつも通り勝負を受けると、石を投げた。それは、過去の勝負で投げたものよりも、遥かに、遠く、長く、多く、跳んだ。
 男の子は、それを見て、絶望した。それでも、目の前の女の子ができるならば、自分にもできるはずだと信じようとした。それはもはや祈りに近しいものだった。手にできたばかりの豆の痛みも忘れて、石を全力で投げた。
 結果はもちろん敗北である。男の子はすぐに石を拾い上げると、再び勝負を挑んだ。
 そうして、何度も、何度も、負けては再戦を繰り返した。いつしか男の子は悔しくて泣いていた。きっと見かねたのだろう。女の子は、そのとき、初めて彼に勝ちを譲った。明らかに手加減されたと分かる勝負だった。そもそも、自分の勝利そのものが紛れもなく手加減の証拠なのだと、男の子は理解した。男の子は水切りが嫌いになった。
 イカロスは太陽に近づきすぎて、その傲慢さによって身を滅ぼしたという。同じように、その男の子を打ちのめしたのもまた、傲慢さなのだろう。頑張れば勝てると思い込んでしまう、そういう傲慢さだ。
 その日、その負けず嫌いの男の子は死んだ。もうどこにもいない。残ったのは、勝負事からは逃げ続け、なにをするにも本気になれず、無気力で、なんの取り柄もなく、ただ、読書のみを趣味とする、面白味のない、そんな残りカスだ。
 勝とうなんて、最初から思わなければ、心が辛くなることもないのだ。

 そうして現在、高校のとある教室前にて。
「と、いうわけだから、この子の案内は任せるね」
 クラスの担任である教師(白鐸)が、少女の肩に手をおいて緩く命令してきた。旧友であるという理由で気をつかったのだろう。
「はあ」
 返事を確認してどこかへ立ち去る教師。
 残された少女。俺の黒歴史の証人であり被害者。名前は戸隠雫。クノイチ、そう呼称される魔物娘。見た目は黒髪のショートカットに青みがかった瞳。黒い半袖カッターシャツに臙脂色のチェック柄スカート、そこから先端が矢じり形の尻尾が延びている。淫魔にしては控えめな胸がシャツを緩やかに押し上げていた。
 時間帯は放課後。教室からは何人も生徒が退出し、皆部活動やら帰路やら寄り道やらに向けて思い思いに散っていく。
「久しぶり」
 雫は静かに挨拶をした。
「……あー、久しぶり」
 挨拶を返す。そして沈黙が訪れる。口数が少ないのは変わらないようにみえる。それでも話題をふれば返答はしてくれるのだろう。あの頃そうだったように。もっとも、これからは必要最低限の会話しかしないつもりなので、どうでもいいことだが。
「じゃあ、案内するからついてきて」
 雫はしばらく、何も反応を返さずにこちらを見ていたが、やがてこくりと頷いた。
 校内をざっと説明して廻る間、最後まで必要以上の会話は起こらなかった。その後、教室に戻って部活動の所属申請書の紙を雫に渡した。
「これに記入して教師に渡せば部活に入れる」
「何部?」
「……俺?」
「そう」
「……なんで」
「なんでも」
 一緒の部活にしてくる、という考えは自意識過剰で自己嫌悪に陥りかねないが、それでもここは文芸部であることを伏せることにした。
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