揺れるアネモネに手を添えて

1:ある農夫の日記

 引っ越しの準備は、八割がた終わった。
 だが、部屋が片付き、荷物が整理されていくほどに、私の心は冷えていく。

 なぜ私達が、先祖代々受け継いできたこの土地を去らなければいけないのか?
 なぜ私達が、汗水を流して耕してきた田畑を捨てなければいけないのか?
 なぜ私達が、他国の騎士団のために動かなければいけないのか?

 そして何より、なぜ私達を守ってくれるはずのこの国が、政府が、彼の国の主張を唯々諾々と、あるいは嬉々として受け入れているのか?

 突然村にやって来た農業省の役人が、あまりにも一方的な内容の通告を突きつけ、去って行ったあの日。村の皆とともに、呆然と立ち尽くした私は、一体どんな顔をしていたのだろう。

 そう、漠然とした噂話が、本当の出来事となったあの日以来、私は考え、悩み続けている。
 けれども、答えは出ない。
 もしかすると、永久に、その答えは出ないのかもしれない。

 あぁ、頭痛がする。
 少し、考えることをやめよう。
 今はただ、黙々と引っ越しの期日に備えよう。

 私には、それだけのことしか出来ないのだから。


2:ある若手騎士団員の日記

 あれこれ散々悩んだが、結局田舎に帰ることにした。
 田舎の両親と兄妹たちも、こっちの事情はわかってくれているようだ。

 隣国の外国人部隊や傭兵組織からの誘いもあったが、やはり自分の国以外の制服に袖を通す気にはなれなかった。

 本当にこの先、俺はどうなっていくのだろう。
 いつもは楽しい同期達との飲み会も、最近は湿っぽい話題ばかりだ。まったく嫌になる。

 ただそれでも俺には、帰れる田舎があるだけ幸せなのかも知れない。
 あと、結婚していないことも幸いか。
 嫁さんや子供の人生までおかしくさせるわけにはいかないからなぁ……。


3:ある商人の日記

 久々にこの国を訪れて、心底驚いた。
 立て続けの凶作と経済的な失政によって、国内情勢が不安定になっているという話は聞いていたが、実際にはどうだ。

 街中はとても綺麗になっているし、教会からは美しい賛美歌が聴こえてくる。
 長らく壊れていた中央公園の大噴水は見事に修復され、季節の花々が咲き誇っている。
 学校へ駆けて行く子供達の笑顔は明るく、年寄はのんびりと世間話に興じている。
 商店には良い品物が並んでいるし、行き交う人々の雰囲気も良い。
 何もかもが平和な、穏健的反魔物国家。そう言う他ない。

 けれども……何故だろう。
 何かが引っかかる。

 街の美しさと平和さに、どこか虚ろなものを感じてしまうのだ。
 街を歩く人々の目に、言い知れぬ不気味さを覚えてしまうのだ。

 あちこちの国々を渡り歩く中で、私の感性がすっかりヒネクレてしまったからだろうか。
 それとも、街のいたる所に張り出されている、現政権の党首……若く美しい彼女の肖像画のせいだろうか。

 よくわからない。私は、疲れているのかもしれない。
 明日の仕事も早い。今日はもう眠ることにしよう。


4:ある酒場にて、酔った男の言葉

 俺は、どうにも気に入らないね。気に入らない。
 いや、何がって、あの『党首様』がよ。

 あぁん? あぁ、たしかに若いし、綺麗だし、有能だよ。
 だけどよぉ、何ちゅうかこう、血が通ってねぇような気がすんだよなぁ。
 理屈と綺麗事だけで動いてる人形みてぇって言うかさぁ。

 そりゃな、もうグズグズになってたこの国をピシーっと立て直した腕は買うさ。
 選挙できちんと選ばれた上で今の地位にあるってんだから、そこも認めるさ。
 でもよぉ、何か有能ってだけで、やってるこたぁ結構エゲツなくないか? あの人。

 『我が国の財政と現状を立て直すために、皆で一致団結いたしましょう』
 ……ってあの演説な、アレの内容もバシっとまとまってたとは思うけど、何かちょっとまとまりすぎてて「おいおい」って感じがしなかったか?

 いわゆる、あの、何だ、あれ……あぁ、そうそう緊縮財政っての。
 それが必要だったことは、俺みてぇなバカでもわかるよ。
 だって、それが無きゃ今頃どれくらいの人間が飢え死にしてたかわかんねぇしさ。
 けど、その内容がなぁ。

 あと、ほれ、あれよ。新聞とか、その手の連中よ。
 何かさぁ、『党首様』の疑問を書いてた保守系の新聞社なんて、今はもぅすっかり衰退して弱小組織になっちまったろ? ちょっと前まではかなりの組織だったのに。
 で、逆に、革新系の連中がズドーンと幅をきかせてるって訳よ。
 これもよぉ、何か『党首様』前後で極端に動いた気がしねぇか? 変じゃねぇか?

 んぁ? 俺? いや、俺はこの国が好きだよ。大好きさ。
 でもよ、好きだからって、今の色々に物申しちゃ駄目ってこたぁねぇだろ?

 んまぁ
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