初冬の夕方に近い午後。
抱えて運んで来た木箱をベンチにおろし、ふぅと息をつく一人の魔物の姿があった。
ゆったりとしたシルエットの白いセーター。白魚のような手には、薄手の手袋。
野菜、果物、雑貨など、色々な物が入った木箱は、人間の女性では持ち運べない程の重さになっている。そんな荷物を抱えて歩いたからだろうか、その頬はほんのりと桃色に染まっていた。
「少し、買い込み過ぎてしまったでしょうか?」
落ち着いた、大人の女性の声。
しかし、小首を傾げながら呟く姿は、純朴で可憐な乙女のそれ。
ラフに切られたショートカットの似合う童顔が、そうした印象に拍車をかけている。
軟派な人間の男ならば、声をかけずにはいられない……彼女には、それだけの美しさが備わっていた。
だが、実際に彼女へ声をかける男はいないだろう。
仮に居たとしても、彼女に近付き、その左手の薬指に填められた銀の指輪を見れば、黙って回れ右をするはずだ。
夫を持つ“純潔の象徴”に声をかけても、絶対に何も起こらない。いや、そもそも自分などが手出しをして良い相手ではない、と。
彼女は、ユニコーン。
どこまでも白く美しい毛並みと、額から伸びる一本の角。そして何より貞淑で心優しく、愛に生きる種族として名高い、ケンタウロス種の魔物である。
「う〜ん……ふぅ」
両手を組み、くるりと手首を返して頭の上へ。
木箱を運んで凝ってしまった肩と背中の筋肉をほぐし、再びふぅと一息。
「懐中時計を持って来るべきでしたね」
軽く空を見上げて太陽の位置を確認し、だいたいの時間を推測する。
国一番の森林地帯で育った彼女は、時計いらずの優秀な勘を持っていた。
季節を問わず、ただ空を見上げるだけで、時刻を誤差ニ分以内で言い当てることが出来たのだ。
けれども、大人になって生活環境が変わり、様々な出来事を経ていく中で、その勘は随分とボンヤリした、頼りないものになっていた。
うっかりでしたが、仕方ありません。
心の中でそんな言葉を転がし、彼女はベンチの横にペタンと腰を下ろした。
ユニコーンである彼女は、普通のベンチに座ることが出来ない。だから、ベンチの横の地面に座る。
それを可哀想だと言う人もいるが、彼女を含めたケンタウロス種の魔物たちは気にしない。
私たちはそういう風に出来ているのだから、もうそれで良いじゃない……彼女たちにとっては、ただそれだけのことなのだ。
街を見下ろす丘の上。
古ぼけたベンチの横に、人待ち顔の美しいユニコーンが一人。
どこまでも絵になるそんな景色の中で、彼女は静かに瞼を閉じた。
そして、別れの時がやって来た。
秋の終わり。
王立騎士団附属病院。
その緊急処置室に、最愛の人との永遠の別れが、やって来た。
ベッドに横たわる彼の顔には、小さな傷が付いている。
皮膚と髪の毛からは水気が失われ、脱力しきった肉体からは生気を感じることができない。
今、彼の命を辛うじてつなぎとめているのは、いくつかの薬と治癒の魔術。
しかしそれは、嵐の中で揺れる木に、数本の細糸を結びつけているだけのこと。
訪れる運命の時を跳ね返すことは叶わない。
やがて弱々しく続いていた彼の呼吸は乱れ、浅くなり、数度体を痙攣させて、止まる。
彼女はその様子を震えながら見つめ、ただ涙を流し続ける。
「いや、嫌、イヤ……嫌です、嫌ですっ!!」
訪れた最期の瞬間を拒むように、彼女は彼の右手を握り、その冷たさに戦慄する。
種族の特徴として、ユニコーンは強力な治癒の魔術を使うことができる。しかし、それが有効となるためには、治癒の受け手側に魔術を受け入れるだけの力が残っていなければいけない。
命の灯火が、灯っていなければいけないのだ。
目を見開いて動けなくなった彼女に視線を送りながら、白髪の男性医師がベッドの反対側から彼の脈を確認する。
処置室の片隅には、その様子を見守る人々。
顔や体に痛々しく包帯を巻かれている若者たち。
急の知らせに驚き、病院へと駆けつけた、二人の恩人である老夫婦。
手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめ、怒りと無念に体を硬直させているオーク。
痛恨の表情でうつむき、小さく肩を震わせているバフォメット。
対光反射の消失、胸部の聴診、再び脈の確認。
それらをゆっくりと丁寧に行い、最後に時計を確認した医師が、静かに告げた。
「午後九時二十七分、天への旅立ちを確認させていただきました」
「あ、あ、そんな……」
涙で瞳を真っ赤に腫らし、首を横に振りながら、彼女は縋るような思いで医師を見る。
だが、医師は何も答えない。答えてくれない。
だから彼女は、処置室の片隅にいる人々に目を向ける。
嘘ですよね。
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