失い、得た人。

 中秋の昼過ぎ。
 ベンチに、一人の男性が腰掛けている。

 飾り気の無い、シンプルな秋物の服。
 綺麗に整えられたミディアムの髪と、細い眉。
 年齢は、三十代に足を踏み入れた辺りだろうか。
 活力に溢れた若さから、落ち着いた大人の雰囲気へと変わり始める……そんな年頃だ。

 五分、十分、十五分。
 ベンチに腰を下ろしてから、彼は微動だにすることなく街を見下ろしている。
 まばたきをする以外に、視線や表情が変わることもない。
 糸の切れた人形のよう……そんな風に表現するのが、最も妥当な有り様だった。

「…………」

 そうして三十分以上の時間が経過した頃、彼が不意に動き出した。
 傍らに置いていた茶色い紙製の袋をまさぐり、中から大きめのサンドイッチを取り出す。
 それを一旦 膝の上に乗せ、次に紅茶で満たされた蓋付きの紙コップを慎重に取り出し、袋とは反対の側に置く。
 空になった袋を几帳面に折りたたみ、紙コップの蓋を外し、ゴクリと一口飲む。

 ふぅ……と大きく息をついて、紙コップに再び蓋をする。
 今度はそれを折りたたんだ袋の上に置き、倒れないことを確認してから、視線をサンドイッチへ移す。

 サンドイッチは、卵・ハム&チーズ・ポテトサラダの三つ一組。
 彼は無表情のままポテトサラダを選び、口へ運ぼうとした所で……止まった。

「はうぅぅ……」
「…………」

 背後から聞こえて来る、力の抜けた情けない女性の声。
 そして、奇妙な虫が鳴いているような、哀れを誘う腹の音。
 彼は静かに振り返り、その声と音の主を確認してから、言った。

「……これ、食べます?」


「はぁ〜、大変美味しゅうございました。本当にありがとうございました!」
「あぁ、いえいえ。お粗末さまでした」

 サンドイッチも紅茶も、全て綺麗に平らげた後、彼女はぺこりと頭を下げて感謝の気持を伝えた。
 彼はその言葉に小さく微笑み、優しい口調で訊ねる。

「素敵な食べっぷりでしたけど、何かご事情が?」
「あ、はい、その……今日は、色々と用事が立て込んでしまいまして。朝ご飯もお昼ご飯も、食べ損ねてしまったんです」

 初対面の男性から『素敵な食べっぷり』だったことを指摘されたからだろうか。
 ポッと頬を赤らめながら、彼女が事情を説明する。

「朝は、急に熱を出してしまった“姉妹”の付き添いで病院へ……。お昼は、突然ギックリ腰になってしまったご近所のお婆様の付き添いで、再び病院へ……」
「なるほど。それは大変でしたね」

 納得した彼の言葉に、彼女は「はい」と穏やかに頷いた。
 サンドイッチの包みと空になった紙コップをさりげなく片付けつつ、彼は自分の左隣に座った彼女を見る。

 年の頃なら、二十歳ほど。
 あらゆる光を吸い込んでしまうような、漆黒の僧衣と帽子。
 どんな闇の中でも輝くような、淡い銀色の長髪。
 顔立ちは精巧な人形よりも美しく、それが彼女の癖なのか、エルフを想起させる尖った耳が、時折ぴこぴこと上下に動いている。
 僧衣の胸元には、大胆な切れ込み。そこから覗く胸は、明らかに大きい。
 そして、視線を下ろせば、腰から飛び出している黒い羽と、鎖を巻きつけた長い尻尾、さらに、深すぎるスリットからは肉付きの良い脚が見える。

 親魔物国家に暮らす人間ならば、彼女が何者であるかを違える者はいない。
 彼女は、ダークプリースト。
 堕落した神を信奉し、その教えを広めることを務めとする【聖職者】である。

 人間を堕落させる術に長け、好色な淫魔そのものと言っても過言ではない彼女を前にして、しかし、彼はいたって普段通りだった。

 その理由は、二つ。
 一つは、彼が親魔物国家である、この国のこの街で生まれ育った人間であるということ。
 もう一つは、この街に教会を構え、生活している彼女たちが、様々な福祉や慈善活動に熱心な『良いダークプリースト』であるということ。

 彼は、思う。
 「急に熱を出してしまった“姉妹”」とは、魔力の制御に慣れていない元人間のダークプリーストのことなんだろうな。
 「突然ギックリ腰になってしまったご近所のお婆様」というのも、彼女たちが行なっている“一人暮らしのお年寄りへの声掛け周り”の中で発見したものなんだろう。
 いや、感心感心。この街の彼女たちは、本当に働き者だから。
 生臭な人間の聖職者は、彼女たちの爪の垢を煎じて飲むべきだな……。 

「……あ!」

 胸の前でポンと手を合わせ、彼女が目を丸くする。
 その突然の声に、彼もまた驚いて目を丸くする。

「あたたかい施しを頂戴しましたのに、私ったら、自分の名前もお伝えしていませんでした」
「あぁ、あ、ハハハ……そういえば、そうでしたかね」

 律儀に「申し訳ございませんでした」と頭を下げる彼女
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