雪のように白い髪をなびかせた女が一人。月夜に照らされて、それは美しく輝いていた
一歩、彼女が俺に近づく。体が凍り付きそうな位寒い。
「ねえ、知っていますか?」
また一歩近づく。寒い。体はピクリとも動かない。
「雪女に見初められた男の人は……」
さらに一歩近づく。寒い。心臓も動くのを止めてしまいそうだ。寒い。
「絶対に逃げられないんですよ……?」
ああ……誰か……助けて……
………
……
…
窓から差し込む日光だけが照明の店の中、俺は黙々と床にモップをかけていた。
ここはとある国の小さな酒場。名前は〈フロストフラワー〉。夜になるとひっそりと開かれる男達の憩いの場。しかし今は店も開いていない昼時。
一しきり掃除が終わり、俺は椅子に腰かけ少しくつろいでいると、扉のベルがカランと音を立てた。
白い髪に青白い肌、ジパングの装束に身を包んでいた。人づてに聞いたことのある風貌でピンときた。彼女は雪女。ジパングを代表する魔物娘の一人だ。
「あのう、すいません」
鈴の音の様な綺麗な声で、彼女は尋ねてきた。
「ああ、いらっしゃいませ。フロストフラワーにようこそ。ただ、今はまだ店開けてないんですよ」
俺はなるべく丁寧に喋る。普段、男どもばかり相手しているので、紳士的な振る舞いはなんだかぎこちなくなってしまった。
「いえ、そうではなくてですね」
「……?ではなにかご用があるんですか?」
「ええ、真に不躾な話ではあるのですけれども……」
彼女は申し訳なさそうに、でも顔には笑みを浮かべて。
「私をここに泊めてほしいと、そういう事なのです」
どうでしょうか、と俺に問いかけたのだ。
「まあとりあえず腰かけて」
「あら、すいません」
テーブルへ案内し、ひとまず彼女を座らせた。対面するように私も席に着く。
「それで、え〜っと……」
「サクラ」
彼女は言う。
「私はサクラと申します」
「サクラさんね」
さくらという言葉で、昔、両親がジパングに連れて行ってくれたことを思い出した。桃色の花弁が舞い散り、吹雪のように河原を染めていた景色は今でも目に焼き付いている。
「素敵な名前ですね」
「ありがとうございます」
彼女は少し照れたように笑った。
「で、サクラさん。うちに泊まりたいってのは?」
「はい。私、今日初めてこの国に来たのです」
彼女の説明を整理しよう。彼女は来てそうそう泊まる宿屋を探した。しかし、運が悪いことにどこも満室だった。何とかいい場所はないかと探している所でここを見つけたようだ。
「たしかに、うちには空き部屋があるが……」
元々宿屋だったものを改築して作った酒場だったので、上の階には泊まれるような部屋があり、俺もそこで寝泊りしていた。
「あまりおすすめしないよ。夜は酒場だからうるさくなるし、探せばもう少しはいい場所があると思う。折角の旅行なんだ、いいとこに泊まったほうがいい」
「構いません。雨風をしのげれば拘りはありませんし、それに旅行で来たわけでは無いのです」
「旅行じゃない?では何か仕事でも?」
聞くのは失礼かもしれないと思ったが、何故だか気になってしまった。
「……探し物です」
「探し物?」
「運命の、運命の旦那様をさがしているのです」
「……はあ」
なんとも気の抜けた返事が出てしまった。冗談かと思って彼女を見たが、屈託のない笑顔から察するにどうやら本気らしかった。
「あー……因みに。その運命の人がここにいるって根拠は?」
「あります。私の、女の勘がそう言っています」
サクラさんは依然として笑顔。その顔は誇らしげにも見える。
「……成程」
全然納得出来ていないが、詳しく聞くのも野暮だと思った。女という生き物はよく分からない。魔物娘においても、それは当てはまるようだった。
「あんたが構わないってならいいんだ。部屋を使えるようにしておくからちょっと待っててくれ」
「わあ、助かります!ありがとうございます、……え、と……」
彼女が口ごもる。そういえば俺の自己紹介がまだだった。
「俺はミドレって言うんだ。よろしく、サクラさん」
「ありがとうございます、ミドレさん」
ミドレって素敵な響きですね、と彼女は青い頬を淡く桃に染めた。人に名前を褒められたのは、初めてかもしれない。
日が落ちて、街路の明かりが灯りだすと、大人の時間が始まる。人々は労働の疲れを癒すため、今日も酒場へ足を運ぶ。
〈フロストフラワー〉はいつもの賑わいを見せていた。
「おう、ミドレ!蜂蜜酒を樽で持って来い!」
カウンターの端で大声を上げたのは、ジェフという初老の太った男。通称〈蜂蜜酒のジェフ〉。理由は言わずもがな。
「家の蜂蜜酒を全部飲み干されちゃあ、かないませんよジェフさん。瓶で勘弁してください」
と、戸棚を開けて瓶を取り出そうとしたが。
「あれ……」
蜂蜜酒がない。奥に行ったかと
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