とある所に、A君という少年がいた。当時小学六年生になっていたA君はこの時、両親と一緒に母方の祖父母の元を訪れていた。夏休みも半ばを過ぎた頃のことである。
祖父母は郊外の村に住んでいた。過疎が進行し、高齢者が居住者の大半を占めるようになった小村だ。古ぼけた和風家屋と田畑が無秩序に点在する、コンビニも娯楽施設もない寂びた場所である。
しかしA君は、そんな何もない村を気に入っていた。村の持つ穏やかな空気と牧歌的な光景が、都会育ちのA君には新鮮に映ったのだ。
だからA君は夏休みになるたびに、その不毛な村に行きたがった。両親はあんな田舎のどこがいいのかと苦笑しつつ、それでも毎年彼のリクエストを受け入れていた。
「おお、おお。よう来たな。なんも無いがゆっくりしてけや」
そんなA君と彼の両親を、祖父母はいつも暖かく迎え入れた。今回も例年通り、車でやってきた三人を祖父母が玄関前で待ち構えていた。
真っ先にA君が車から飛び降り、祖父母の元へ駆け寄って行く。遅れて母親が降り、最後に車を家の横に停めてから父親がやって来る。祖父母は家族三人揃ってから玄関の戸を開け、共に中へ入っていった。
「どうする? まずは風呂入るか? それとも飯にするか? どっちも準備できてるぞ」
祖父が入れ歯を覗かせながら笑って尋ねる。祖母もニコニコ笑いながら、娘夫婦の反応を待った。どちらも神経質にならず、返答を催促することも無かった。
都会では絶対に味わえない、弛緩しきった空気がその場に満ちていた。A君はそんな空気が大好きだった。
翌日。A君は宿泊先の実家から離れたところにある田園地帯へ遊びに出かけていた。そこでは無駄に広い田んぼに水が敷かれ、その中で稲が青々と生い茂っていた。田畑の至る所に案山子が置かれ、害鳥対策にある程度の効果を発揮していた。
「お昼までには帰ってくるんだぞ」
「うん!」
A君は実家に帰ると、決まってここへ足を伸ばしていた。頭に麦わら帽子を被り、慣れた足取りで「ここ」へ向かうのである。両親も祖父母もそれを知っており、その上で彼の好きにさせていた。
何故いつもここに来るのか。この場の空気が好きだったからだ。稲の揺れる音。水の流れる音。農耕機械の立てる無機質な音。全てが瑞々しく、都会で煤けた彼の精神に癒しをもたらした。誰にも邪魔されず、自分の心を解き放てる。
それ故に、彼は毎年ここへ来ていた。この辺りは彼にとって、自宅の庭も同然だった。
「……ん?」
だからA君がそれを見つけたのは、決して偶然ではなかった。勝手知ったる庭の中に、何やら見慣れないものが混じっている。それに気づかない程、彼は鈍感ではなかった。
それは眼前に映る田んぼの中、青い稲が生い茂るそのど真ん中に、ぼうっと突っ立っていた。
縦長の影だ。黒く細長い影が、田んぼの中心に陣取っている。影はぴくりとも動かず、ただその場に立ち尽くしている。
「なんだあれ」
それを見たA君は違和感を覚えた。あれは明らかに庭の内に属するものではない。
そしてその「異物」の正体を見極めようと、目を凝らしてそれを注視した。うすぼんやりとした影にピントが合い、詳細な姿へと形を変えていく。
「……」
それは人型をしていた。凹凸の少ない、小柄な体つきをした人型の何か。見た目的に女性だろうか。それが田んぼのど真ん中に立っていた。
だらんと垂らした両手は羽毛に覆われ、膝から下の部分もまた青い羽毛に覆われていた。目は人間と同じ作りをしていたが、どこか上の空で、明後日の方を見ていた。ついでに言うと「それ」は露出の激しい格好をしており、それが一層A君の興味を引いた。
彼も男だった。
「すごい……」
もっと見たい。A君の欲望がどんどん大きくなる。その欲望のまま、目を皿のようにして眼前の「それ」を凝視する。
鼻息が荒くなる。興奮と背徳で顔が真っ赤になる。
「ん?」
しかしA君が生唾を飲み込んだ次の瞬間、その女性型の「何か」が彼に気づいた。素早く首を動かし、A君の方へ視線を向けた。
A君に視線を逸らす余裕は無かった。食い入るように見つめるA君の視線と、謎の女性の視線がばっちり重なり合う。
直後、女性は自分に熱視線を向ける少年の存在に気が付いた。そこでようやく、A君が「先方に自分の存在を知られた」ことに気づいた。
「あっ」
反射的にA君が叫んだ。それが引き金になった。田んぼの真ん中に立つ「それ」が、とうとう全身で彼に向き直った。ここに来て「それ」は、完全にA君を射程に収めた。
「ぽっ?」
A君はその場から動けなかった。異形の存在に正面から見つめられた彼は、恐怖のあまり足が石のように固まってしまっていた。「それ」は
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