前編

 南極大陸で巨大な磁気異常が観測されたのは、今から三ヶ月前のことである。それは突発的かつ一瞬の出来事であり、そして自然現象で片づけるにはあまりにも不自然な事象であった。
 事態を重く見た国連は、直ちに調査隊の派遣を決定。世界各地からメンバーを募り、その中から二十人を厳選、彼らを特別調査隊として結成させた。チームメンバーは軍人やスポーツ選手、戦場カメラマン、医師から現役の南極観測員まで、バラエティ豊かであった。
 そうして調査隊として選ばれた者達は、まず最初に南極で生活するための基礎訓練や緊急事態への対応策、基本的なサバイバル術などを、二週間かけてマスターさせられた。短期間に詰め込まれたが故にハイペースで進められる訓練メニューは苛烈を極めたが、隊員達はどうにかこうにか極地で生きていくための知識を身に着けていった。
 そして現地に適応できるようしっかり準備を整えた後、彼らはようやく南極観測船に乗り込み、目的の場所へ出発した。この時南極では最初に観測されたのと同じ磁気異常が不定期に確認されており、それが人為的なものであると大半の者が信じていた。特別調査隊の面々も、そのほぼ全員がそう思っていた。
 しかし誰が、なんの目的でそんなことをしているのか。それに答えられる者は一人もいなかった。
 
 
 
 
 それを最初に見つけたのは、特別調査隊の中で最年長であるジノだった。彼は齢六十でありながら現役の南極観測員であり、その豊富な経験を買われてのメンバー入りとなった次第であった。背筋がやや曲がり、口元に白いひげを蓄えた小柄な老人だった。ややもすれば弱弱しく見える立ち姿であったが、その目には全盛期とまるで変わらない熱量の活力と自信に満ちていた。生涯現役を貫くこの老人に、余計な気遣いは無用であった。
 その日は天候が良く、甲板に出れば遠くまで見渡すことが出来た。もっとも、この時船は既に南極大陸にかなり接近しており、おかげで見えるものと言ったら海の上に浮かぶ白い氷塊と、白く塗り潰された大地だけであった。どこを見ても白ばかりの――ジノにとっては見慣れた――味気ない光景であった。
 しかし、そのように見渡す限り白一色の世界が広がっていたが故に、ジノはそれに容易く気づくことができたとも言えた。その黒い影は白い大地の上にぽつんと立っており、否が応でも目についた。もちろんジノもそれに気づき、咄嗟に首からかけていた双眼鏡を構えてそれを注視した。
 
「なんだあれは……?」

 それを視認したジノは唖然とした。そこにあった影の正体は、一人の女だったからだ。しかもその女は全身青みがかっており、こんな極地の中でメイド服のような薄手の服だけを身に着けていた。それでいて女は寒がる素振りも見せず、それどころか穏やかに微笑みすら浮かべながら、じっとこちらを見つめて来ていた。
 
「……クスッ」

 青い女はジノを見ながら、笑って手を振ってきた。まるで馴染みの客に挨拶をするような、上品で物腰柔らかな動作だった。ジノは双眼鏡越しに、その姿をしっかり捉えていた。
 女はこっちに気づいている。ジノは瞬時にそう判断し、同時に背筋に寒気が走るのを感じた。あれはなんだ? なんでこんなところであんな変ちくりんな格好をしているんだ?
 そもそもあいつは何者なんだ?
 
「みんな! こっち来てくれ! 変な奴がいるぞ!」

 しかし恐れているばかりでは、事態は進展しない。ジノはその女の姿や所作に薄気味悪さを感じながらも、勇気を振り絞って甲板にいた他のメンバーに声をかけた。
 ジノの声に気づいた他の面々が彼の元に集まり、彼の指さす方へ一斉に双眼鏡を構える。レンズの中に青い女の姿が映る。
 次の瞬間、女は彼らの監視の中で丁寧にお辞儀をしてみせた。所作も角度も完璧な、教育の行き届いた上等な仕草だった。
 
「ようこそ、おいでくださいました。ニンゲンの皆さま、でございますね?」
 
 同時に頭の中に直接声が響く。優しい女の声。突然の出来事に、双眼鏡を構えてい何人かが悲鳴を上げる。
 驚愕が他のメンバーに伝播する。そうして周りがつられて驚き、双眼鏡から顔を離して驚く中、ジノだけは双眼鏡から目を離さず、その女の姿をじっと見つめていた。
 女もまた、ジノを優しく注視していた。女の持つその金色の瞳は、なぜか潤んでいた。
 頭の中に再度声が響く。
 
「そのまま直進してください。私の仲間の元へ案内致します」
 
 これが、この世界における人間と魔物娘のファーストコンタクトであったと言われている。
 
 
 
 
 その真っ青な女は、自らをショゴスのキューと名乗った。ショゴスとは種族名であり、キューが自分の名前であるとも付け加えた。キューの姿は一言で言って異形であった。しかし溶けて崩れた肉の塊から垂直に突き出した
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