炬燵は日本人が生み出した最強最悪の兵器である。兵器の強弱に関しては往々にして百家争鳴のきらいがあるが、そんなうるさい識者達もこれに関しては満場一致で「凄まじく強力だ」と評価するだろう。それほどまでに、この「こたつ」なる代物は悪名高い存在であった。
その威力たるや絶大で、一度中に入ったら最後、理性ある生物はその全てがそれの虜となる。例外は存在しない。人間はおろか、本来人間を魅了する側にいるはずの魔物娘でさえ、その誘惑から逃れることは出来ない。本末転倒であるが、こたつにはそれが出来たのだ。
「ぐへへ、あったかいのう……」
それだけこの「こたつ」の持つ魔力は、まったく規格外の代物であったのだ。毛布と暖房の相乗効果がもたらすぬくもりと安心感は生きとし生ける者全てを等しく堕落させ、さらにそこに蜜柑を加えれば最後、それは外的要因の無い限り半永久的に生物を幽閉してしまえる最凶の檻と化すのだった。蜜柑の代わりにアイスを置いても同様の結果が生まれる。冬場に暖かくしながら冷たいものを食べるというのも、中々にオツなものである。
まさに悪魔の生み出した叡智。勤勉たる全ての生命への冒涜。怠惰と安楽をもたらす禁断の道具なのだ。
「ああ……ぬくぬくじゃ……出たくないのじゃ……」
そしてここにもまた、その炬燵の魔性に屈服した一人の魔物娘がいた。バフォメット――頭から立派な角を生やし、手足を毛でもふもふさせたこの幼女姿の悪魔は、今では腹から下を炬燵の中に押し込み、テーブル部分に両腕を投げ出しつつ顎を載せてだらしない表情を浮かべていた。サバトの主催者であり、人間の常識を超えた莫大な魔力を有するこの幼い怪物も、炬燵の前では全くの無力であった。
「天国じゃあ……至福の極楽なのじゃあ……♪」
「本当にな……」
そしてこの家の家主である安西耕太もまた、バフォメットと同じように炬燵の魔力に屈服していた。二人は向かい合って炬燵に入りこみ、それぞれが好きなようにぬくぬくを噛み締めていた。二人してどてらを着込み、テーブルの上に蜜柑を置くのも忘れない。完全武装の構えであり、共に外に出る気は皆無であった。
「何もしたくねえなあ……このまま一生いたいな……」
「外が寒いのがいけないのじゃ……わらわ達は全然悪くないのじゃ……」
二人揃って堕落の極みにあった。男と幼女姿の悪魔は、二人して冬場にのみ味わえる極上の時間を享受していたのであった。
しかし、いつまでも安楽に沈んでいるわけにもいかない。人間も魔物娘も等しく生物であり、そして生物である以上、その代謝機能は二十四時間体制で稼働している。生きている限り疲れれば眠たくなるし、エネルギーが足りなくなれば腹の虫が鳴る。どれも生命維持のために必須の行為である。
そして今、彼らの体を動かすためのエネルギーは枯渇寸前であった。
「腹減ったなー。そろそろ飯作らないとなー」
正午。自分の腹の虫がアラームの如く鳴り響くのを自覚しながら、耕太はだらけきった顔で呟いた。すると彼と向かい合って炬燵に入っていたバフォメットもそれに応えるように頷き、テーブル中央のバスケットから蜜柑を一つ取りつつだらだら言い返した。
「もうそんな時間かぁ。あにうえー、今日はどんなご飯にするのじゃー?」
「まだ考えてないんだよなー。ていうかもう、冷蔵庫の中からっぽなんだよなー」
「なんじゃとー?」
昨夜覗いた冷蔵庫の中の光景を思い出しながら、耕太が間延びした声で答える。バフォメットもまたそれに力ない調子で返し、手にした蜜柑を皮も剥かず両手で弄びながら続けて言った。
「つまり、今から買い出しに行かねばならぬと言うのかー?」
「そういうことになるなー」
「それはいやじゃなあ。寒いのはいやじゃあ。こたつからでたくないのじゃあ」
バフォメットが駄々をこねる。頬とぷにぷに肉球のついた両掌をテーブルに押しつけ、上半身でべったり貼り付いて「ここから離れるものか」と猛烈にアピールする。
それを見た耕太は思わず苦笑しながら、全身で拒絶の意志を見せるバフォメットに声をかけた。
「じゃあ俺だけで買い出し行ってくるよ。ベッキーはここで待ってろ。すぐ戻ってくるから」
耕太としても、正直なところ炬燵から出たくは無かった。しかし空腹から来る飢餓感は、彼の「ぬくぬくしたい」という怠惰な感情を凌駕した。
つまるところ、人間は三大欲求には勝てないのだ。
「ちゃんと留守番してるんだぞ? いいな?」
「いやじゃあ」
しかしそうして欲求のままに炬燵から出ようとした耕太を、バフォメットの「ベッキー」――本名ベックス・エル・フロイデン・スヴォルザード四世――は、子供が駄々をこねるような甘えた口調で引き留めた。いきなりのことに耕
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