午前七時。まったく出し抜けに、そのサキュバスは目を覚ました。
ウィルマリナ・ノースクリム。かつてレスカティエが誇る勇者と讃えられ、そしてそのレスカティエ滅亡に加担した魔物娘は、茫洋とする意識を引きずりながら体を覆うシーツをどかし、上体を起こした。
「あふぅ……もう朝なのね……」
そう独りごち、眠たげに目をこする。彼女は全裸だった。そもそも魔族となって以降、彼女は寝るときに服を着なくなった。夫と愛を育むときに、衣服はもはや邪魔でしかないからだ。着衣セックスというものも偶にやったりはするが、それにしたって毎日するわけではない。だからウィルマリナは、夜に服を着ることを止めたのである。
そしてそれは、隣で寝ていた彼女の夫も同様だった。ついでに言うと、自分と同じように隣の青年と婚約した他の魔物娘達も、同じ理由から服を着ないで夜を過ごすことが多かった。まあ中には服の代わりに触手を身に纏っている者もいたが、それが服なのか否かについては考えないことにした。
「ううん……おはよう、あなた……」
白い素肌を窓越しの朝日に晒しながら、ウィルがそんな夫に向かってよろよろと手を伸ばす。この青年は、いつもならば他の妻たちと同じ部屋で夜を明かすのだが、今日は特別にウィルマリナが彼を独占しても良いことになっていたのである。
しかし彼女の隣で寝ているはずの、その手が掴むはずだった青年の姿は、そこには無かった。
「……え?」
青年の姿を捉えられず、手が空を虚しく掴んだ瞬間、ウィルの脳は一瞬で覚醒した。彼女は飛び起き、五感を総動員して青年の姿を探した。しかしその決して広くない――むしろクローゼットと化粧台とベッドしか置かれていない、生活感皆無の物置のような――ウィルマリナの部屋のどこを見渡しても、青年の姿はまったく見えなかった。
「どこ? えっ、どこにいるの?」
ウィルマリナは胸の奥で、自分の心臓が締め上げられるような強い痛みを感じた。心臓が早鐘のように激しく脈打ち、息が乱れ、額から脂汗が流れ落ちる。「夫の敵」に対しては顔色一つ変えずに剣を振り下ろし、容赦なく堕落の道に堕としていくサキュバスの勇者が、今はあからさまに動揺した姿を晒し、必死の形相で愛する夫を探し求めていた。
「なんで? なんでいなくなっちゃうの?」
ウィルマリナは目尻に涙さえ浮かべていた。彼女は両手で胸元を強く押さえ、怯えきった表情を見せながらしきりに首を振り回した。いるはずのない青年の姿を求めて、方々を見て回った。
自分の知らない間に青年と離れ離れになってしまった。何よりそれが、彼女の心を恐怖で覆いつくしていった。消したはずの古傷が疼きだし、彼女を責め苛んでいく。
もう嫌だ。もうあなたと離れたくない。孤独に怯えるウィルマリナの心が叫ぶ。
「やだよ……行かないでよ……お願いだから……!」
「ウィル?」
その時、入口のドアが開き、一人の男が中に入ってきた。それは今までウィルマリナが必死になって探していた青年であり、彼はズボンだけを履いた状態で、両手に湯気の昇るカップを持っていた。
そして青年は、今にも泣き出しそうなウィルマリナの姿を見て、彼女が何を恐れているのかをすぐに理解した。
「ごめん、ウィル大丈夫か?」
急いでカップを化粧台に置き、ウィルマリナのもとに向かう。そして躊躇うことなく彼女の体を抱きしめ、慰めるように頭を撫でる。
一騎当千の魔界勇者はその暖かな感触に安堵し、愛する青年の胸に顔を擦りつけながら涙を流した。
「よかった……いなくなったのかと思った……」
「俺の方こそ、ごめん。お前を置いてどっか行っちゃって」
「よかった……よかったよう……」
ウィルマリナが心の底から安心した声を漏らす。そうして自分の胸を涙で濡らす彼女を抱きながら、青年は己の迂闊さを恥じた。彼はウィルマリナが「ひとりぼっちになる」ことを何より恐れていることを、ちゃんと知っていたからだ。そして独りを恐れ、愛を求めるがゆえに、彼女がこの世で唯一愛する自分を強く求めていることも理解していた。
少し姿を消しただけで大きく取り乱す、面倒臭い女、などとは欠片も思わなかった。青年はウィルマリナがこうなった理由を知っていたし、それを乗り越えて強くなれと偉い口を利くつもりもなかった。
「ごめんな。勝手にいなくなって」
「ううん、いいの。私の方こそごめんなさい、取り乱しちゃって」
「気にするなよ。俺とお前の仲だろ?」
そう言って、青年はウィルの頭を優しく撫でた。幼馴染の手の暖かさに触れ、ウィルはそれまで激しくささくれだっていた自分の心が大人しくなっていくのを感じた。
そうして穏やかな心を取り戻していくウィルマリナに向かって、青年が優しく声をかける。
「
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