そのさん

「恋がしたかったのだ」

 逆鱗亭でも一件の後、デオノーラは自分の本当の素性と、身分を偽ってガイドをした理由を男に教えた。
 後者の理由は実に「らしい」ものだった。
 
「最近、周りの友人がどんどん結婚していってな。それでその、なんだ、あれだ……」
「焦ったんですね?」
「う、うん。そうだ。そう言うことも出来るな。はっきり言うと、私もいい加減つがいが欲しかったのだ」

 湯船に浸かり、両手でお湯を掬い上げながら、デオノーラがしおらしく呟く。隣で浸かる男は、そんなデオノーラの横顔をじっと見つめていた。
 二人は入浴していた。服を脱ぎ、隣合って肩まで浸かっていた。「竜泉郷」と呼ばれる、ドラゴニアの隣にある一大温泉スポットに、食事を終えた二人は足を運んでいたのだった。
 彼らが利用していたのは、その竜泉郷の中にある温泉宿の一つであった。そこは小さな宿で、「比較的」常人に性的影響を及ぼさない穏やかな温泉を売りにしていた。といっても場所が場所なので、影響が出る時は出るのだが。
 
「しかし女王のまま婚活をしては、大半の人間はその権威に恐れをなしてしまうだろうと、友人から忠告を受けたのでな。ならばと思って新人ガイドとなり、良き伴侶となれる人間を探そうと思ったのだ」
「地位が高いのも楽じゃないってことですね」
「そういうことだな。だが言っておくが、私は女王の座を降りるつもりはないぞ」

 話を浴場に戻す。同じ湯船に隣合って身を沈めつつ、釘を刺すようにデオノーラが断言する。驚く男に、デオノーラが強い意思を持った口調で続ける。
 
「ガイドをしていた時に同じことを言ったと思うが、私はこの国を愛している。ドラゴニアの女王であることに誇りを持っている。私にとってドラゴニアは、何物にも代えがたい宝なのだ」

 そう言う彼女の声には、確固たる信念が込められていた。特に後半部分――この時点で付け加えられた部分には、より一段と強い情熱と愛があった。
 デオノーラは信念の魔物だった。国と民を愛する高潔なる女王だった。その堂々たる語り姿を見た男は、自分の心臓が跳ねるのを自覚した。
 
「……だが、それはそれとして、貴様には悪いことをしてしまったな」

 直後、デオノーラの態度が一変する。それまで見せていた熱意が瞬時に消え失せ、悔悟と反省の入り混じった表情で男の方を見た。
 
「どれだけ取り繕おうと、私が貴様を騙したのは事実だ。本当にすまない。言葉で謝って許されるものではないが――」
「あっ待って。ちょっと待って」

 そしていきなり真面目なムードで謝罪を始めたデオノーラに、男が大きく狼狽する。慌てた男に言葉を遮られたデオノーラが口を閉ざし、眉を八の字に曲げて彼に尋ねる。
 
「やはり、やはり口だけでは満足できないか……?」

 デオノーラは本気だった。ドラゴニアの女王は、女王であるが故に、自身のした事に対して本気でケジメをつけようとしていた。文字通り、彼女は何でもするつもりでいた。
 男は更に慌てた。彼は真相を知ってもデオノーラを咎める気は無かった。逆だ。男は真逆の想いを抱いた。
 だのに目の前で猛烈に誠意を見せんとする彼女に、男は目に見えて狼狽した。違う。そうじゃない。でもそれを上手く伝えられない。
 男は女性との駆け引きは全くのダメダメだった。
 
「違います違います! 僕は全然、デオノーラさんのこと許さないとか思ってません! むしろ……」
「むしろ……なんだ?」

 策を弄せない男は、直球しか投げられなかった。

「そうやって国や僕のことを真剣に考えられるデオノーラさん、素敵だな、って、思いました……」
「――あ」

 それがクリーンヒットした。ドラゴニアの女王たる紅蓮のドラゴンは、鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとした表情を見せた。
 
「あ、えっ、そう……」

 時間をかけて、男の放った言葉の意味を噛み締める。遅れて男も、自分が発した言葉の重みを思い知る。男は全く無意識にそれを言い放ったが故に、それの意図するものを自覚するのに時間がかかった。
 そうして間を置いた後、二人は同じ結論に達した。
 
「つまりその、それは……そういうことなのか?」
「あ、うう……」

 一歩引いた姿勢で、慎重にデオノーラが問う。男は何も言えず、下を向いて黙り込む。
 水面で波紋が広がる。遠くから水音が聞こえてくる。意識の逃げ場を探そうと五感が鋭くなり、隣に浸かるデオノーラの吐息が聞こえてくる。
 墓穴を掘る。プレッシャーで背筋が軋む。心臓が悲鳴を上げる。顔を上げられない。
 
「教えてくれ。貴様はつまり、私のことを? そうなのか?」

 横からデオノーラが詰め寄る。女王も女王で、男性との適切な距離感を掴めなかった。小手先の技術を使わず、大股歩きで男の心中に進入する。
 

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