即堕ち二日

「人間が来る?」

 自宅である城の居間で、翼を畳んでソファに座っていたゼルネリアは、母であるドラゴンからその話を聞いて顔をしかめた。そして一気に機嫌を損ねた娘を見て、彼女とテーブルを挟んでソファに掛けていた彼女の母は、眼鏡の位置を直しつつ言葉を続けた。
 
「そうよ。明日ここに、人間の少年が来るの。なんでもあの人が、召使として雇ったそうなのよ」

 母が「あの人」と呼ぶのは、この世でただ一人だ。ゼルネリアは自分の父であり、自分の母である一匹のドラゴンと結婚した人間でもある一人の男性の姿を脳裏に思い浮かべた。母と同じ眼鏡をかけた、中肉中背の男性だ。ぱっと見は冴えなかったが、この古城の主であった自分の母に力を証明し、堂々と結婚してみせたことから、ゼルネリアにとっては他のどんな男よりも偉大な存在であった。
 そんな愛する父の姿を思い出しなら、ゼルネリアが母に問いかけた。
 
「相変わらずいきなりですね。人間の召使ですか」
「ええ。召使といってもまだ子供らしいから、くれぐれも優しく接してあげてね?」
「人間に優しくしろ、ですか……」
「ええ、そう。ドラゴンのプライドを守るのも大切だけど、他種族を尊重することも学ばないと。もうドラゴンが頂点に君臨する時代は終わったの。これもいい機会だと思って、あなたも他の人間と仲良くしてみなさい」
「……」

 母の言葉にゼルネリアは顔をしかめた。人間と結婚して丸くなった母と違って、ゼルネリアはドラゴン属の本能――自らを王者と見なし、人間を見下す高慢な性分――を母から色濃く受け継いでいた。おかげで彼女は今まで人間の友人が出来たことは一度も無く、またゼルネリア自身も、父親以外の人間と慣れ親しむつもりは無いとすら思っていた。
 一応彼女は、休日には一人で町に繰り出し、城下にある人魔共学可能な学園にもしっかり通学していた。外の世界と交流を持ってはいた。
 ただそこで、人間の友達を作る気が無かっただけである。
 
「母様。何度も言いますが、私は人間と仲良くする気はありません。そもそも何故、我らドラゴンが人間などと親しくする必要があるのですか? 彼らにそれほどの魅力があるとでも?」
「もちろんそうよ。人間はね、私達ドラゴンには無い魅力を持っているの。それが何かは上手く言えないんだけど、でもそれは、本当に魅力的な物なのよ。自分の価値観が丸ごと変わってしまうくらいにね」
「理解できませんね。する気もありませんが」
 
 母が直々に説明しても、この様である。とにかくゼルネリアは、徹頭徹尾人間と関わろうとしなかった。そして根は善人であるのだが、ただこの一点のみが原因で、ゼルネリアは学園内でも浮いた存在として扱われていた。他の魔物娘からすらも変わった子だとみなされていた。
 
「ゼルネリア、お願いだからそんなこと言わないで。人間にも良い所がいっぱいあるっていうのは、お父さんを見ればよくわかるじゃない」
「それは……父様が特別素晴らしいだけです。他の人間の男なんて、盛るだけの種馬でしかありません。寝て食べて飲んで騒ぐだけの、野蛮な連中なんです」
「そうやって決めつけないの。そもそも寝たり食べたりするのは私達も同じじゃないの」
「我々はいいのです。王者が飢え死にするなど、あってはならないのですから。ですが人間は違います。奴らは取るに足らぬ卑屈な生物。飢えようが死のうがどうでもいい。死んでも代わりはいくらでもいるのですからね」
「違うわゼルネリア。お父さんの他にも、素晴らしい人はいっぱいいるのよ? それに直に話し合ったりもしないで、どうして人間すべてが野蛮だなんて言えるのかしら?」
「それは簡単です。人間は元々野蛮な生き物だからです。ドラゴンの足元にも及ばない、下等で矮小な存在だからです」
「はあ……」
 
 頑固だった。ゼルネリアの偏見はオリハルコンよりも頑強だった。幼い頃から「強くあれ」と言い聞かせて育てたのがまずかったのだろうか?
 そんなゼルネリアを、彼女の両親はいたく心配していた。もしかしたら娘は、世間知らずのまま一生を終えるのではないか。このまま友人も伴侶を見つけられず、一人朽ちてしまうのではないか。
 美しく成長し、それと同時にプライドすらも肥大化させていった娘を前にして、父と母は気が気でなからなかったのだ。
 
「もう、相変わらず強情なんだから……」
「私はドラゴン属として当たり前のことをしているだけです」
「……わかったわ。この件についてはもうとやかく言わない。その代わり、あなたに話しておきたいことがあるの」
「話? それはいったい何でしょうか?」

 だから両親は強硬策に出た。娘の人間嫌いを治すための荒療治である。
 そして話を聞こうと居住まいを正すゼルネリアを見ながら、母が口を開いて計画の口火を切った。

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