討鬼伝

 松尾佑二の住む町には、大きな山がある。
 鬼が住んでいること以外は何の特徴も無い、手つかずの自然に包まれた平凡な野山だ。
 人が歩ける程度に道は整備されていたが、逆に言えばそれしか無い。視界に入るのは植物だけ。それも大して珍しくないものばかり。ハイキングやピクニックがしたいなら、他の所に行った方がマシだ。
 余人にとっては、本当にその程度の価値しかない山である。
 
「おーい!」

 だが松尾佑二は違った。彼にとってその山には、足を向けるだけの価値があった。
 正確に言うと、彼は「山に住むもの」に価値を見出していた。山そのものに魅力を感じていたわけではない。
 不憫な山である。しかし実際魅力が無いから仕方がない。
 
「鬼やーい!」

 町内の小学校に通う小学五年生男子が、山の中で声を上げる。申し訳程度に舗装された砂利道の上に立ち、周囲を緑色の樹木に囲まれた中で堂々と叫ぶ。
 道のど真ん中で独り仁王立ちするその姿に恐怖はなく、その顔には期待と決意が溢れていた。彼は覚悟してここにいた。
 
「来たぞー! 出てこーい!」

 佑二が再び叫ぶ。声変わり前のハスキーボイスが木々の間をすり抜け、山の彼方へこだまする。風がそよぎ、鳥の鳴き声がまばらに返ってくる。
 風が肌を撫で、鳥の声が耳をくすぐる。佑二は目を閉じ、両手を広げてそれらの感覚に身を任せる。大自然の息吹が全身に降り注ぐ。気持ち良いことこの上ない。
 次の瞬間、その息吹に異物が混じった。
 
「おう坊主! 佑二! 今日も来たのか!」

 佑二から見て右手側に広がる樹海。その中から威勢のいい声が響き、同時に「それ」がぬうっと姿を現す。虎柄の布で胸と腰回りを隠し、手に酒入りの瓢箪と金棒を持つ、額に角を生やした赤い肌の女。
 アカオニ。昔からこの山に住んでいる鬼である。アカオニは金棒を持った方の手を元気よく振り回し、草木をかき分け大股で佑二の方へ近づいていった。
 
「いつも時間通りだなあ! 偉いぞー!」
「だって約束したからね! 約束は守らないと!」
 
 一方で彼女の声を聞いた佑二も、すぐにそちらへ体を向けた。そして佑二は笑みを浮かべ、その人外の存在を正面から待ち構えた。彼は鬼を恐れず、鬼も彼を恐れなかった。
 やがて二人が相対する。鬼も人も笑っていた。この瞬間を待ちわびていたような、恍惚とした笑みを湛えていた。
 
「一週間ぶりだな、佑二」
「僕も会いたくってウズウズしてた」
「お前もか! ワハハッ、嬉しいこと言ってくれるなあ」

 二回りも小さい少年の言葉に、アカオニが呵々と笑って言い返す。それから佑二が自然な動きでアカオニに寄り添い、彼女の腰布の端をそっとつまむ。
 
「じゃあ今日も行くか。特訓の成果、ちゃんと見せてもらうからな」
「うん!」

 姉と弟――あるいは母と息子――のように、二人並んで砂利道を歩く。二人の足取りに迷いはなく、慣れた動きで山道を進む。
 当然である。佑二達にとってこの行軍は、もはや週に一度の恒例行事と化していたからだ。
 
 
 
 
 佑二がその鬼と知り合ったのは、今から一年ほど前のことである。その日の夕方、学校から帰る途中で、佑二は同じく山に帰ろうとする件の鬼とばったり出くわしたのである。
 
「あっ、鬼だ」
「お? なんだ坊主、本物見るのは初めてか?」

 その山に鬼が住んでいるというのは、その町では当たり前のこととして受け入れられていた。アカオニは当たり前のように山を下り、当たり前のように人前に出現し、当たり前のように買い物したり飲み食いしたりする。
 佑二もその鬼のことは話に聞いていた。しかし実際に会うのは初めてだったので、初遭遇の際にちょっと驚いてしまった。それもまあ無理からぬことではあったので、アカオニはそれについて特に咎めることはしなかった。
 
「坊主、小学生か。今から帰りか?」

 アカオニが佑二に近づき、自分から屈み佑二と同じ目線に並んで話しかける。最初驚いていた佑二もすぐに慣れ、アカオニの顔をまっすぐ見つめながらそれに答えた。
 
「うん。今日は五時間目で授業終わったから」
「そうか、そうか。ちゃんと休まないで学校行ったのか。偉いぞー」

 佑二の言葉を聞いたアカオニはそう言って破顔し、眼前の小学生の頭をわしわしと撫でる。鬼からの暖かなスキンシップに、佑二の警戒心がみるみる氷解していく。
 同時にアカオニの中で、それまで抱くことのなかった感情が芽生え始める。アカオニはそれの正体にすぐに気づき、またそれのもたらす衝動に逆らうこともしなかった。
 
「ところで坊主、この後ヒマか? 一緒にいいことしないか?」

 すぐさま行動に移る。佑二は即答せず、顔を曇らせた。
 
「駄目だよ。ちゃんと帰らないとお母さん心配しちゃうし……」

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