高校側のそれは、要求というより懇願だった。
博人の一件が世間に知られて以降、クレームの数が増大した。中には脅迫めいたものまであり、おかげで教師陣は二十四時間対応に追われている。
もう限界だ。この状況をなんとかしたい。事態改善の第一歩として、博人を復学させたい。我々はもう「平和」であると、内外にアピールしたい。
高校側は必死だった。祖母は彼らの必死のアピールを、電話越しに聞いていた。
玄関口に置かれた電話機の前に立ち、受話器を耳に当てて先方の叫びを聞いていた。
「そんなこと知りません」
その上で、祖母はそう言い切った。快刀乱麻を断つ。まさにその通りの返答だった。
受話器越しに相手が息を呑むのを感じる。祖母は動じず、ただ向こうの反応を待つ。
「……そこをなんとか」
数秒後、ようやく向こうが言葉を返す。明らかに弱っていた。額から脂汗を流し、恐怖と焦燥に駆られながら発したのだろう。祖母は先方のコンディションをそう推測した。
推測した上で、祖母は己を曲げなかった。
「嫌です」
うっ。今度は確実に息を呑む音が聞こえてきた。祖母は表情一つ変えなかった。蔑むことも嘲笑うこともしなかった。
本当にどうでも良かったからだ。
「なんと言われようと、あの子をそちらに返すつもりはありません」
不動の心で祖母が言い放つ。高校側がそれにリアクションするまで、たっぷり十秒要した。
「お願いします。そこをなんとか」
「駄目なものは駄目です!」
さらに弱りきった声が受話器越しに聞こえる。腹に銃弾を浴び、出血多量で死にかけている者の声。半死人の呻き声だ。
実際、向こうは本当に死にかけているのだろう。通常の業務だけで手一杯というのに、その上さらにクレーム処理までしなければならないのだから。彼らの心労は容易に想像できる。
知ったことか。お前らの都合で博人を振り回されてたまるか。
「何度お願いされようと、答えは同じです。博人の問題を放置したあなた方は、もう信用出来ません」
「それは……」
「お話は終わりですか? では切らせていただきますね」
「待って――」
受話器を耳から離し、元の位置に戻す。静寂が訪れ、その静けさの中で祖母の心に充実感が漲っていく。
言ってやった。ばっさり言い切ってやった。溜飲が下がる思いを味わい、祖母は自然と笑みを浮かべた。
「ふう……」
ため息をつく。張り詰めていた神経が弛緩し、心地よい疲れが全身を駆け巡る。博人とマギウスを守ることが出来たと実感し、祖母は勝利の余韻に酔いしれた。
「あっちは今大事な時期なんだから、邪魔が入らないようにしないとね」
満足した顔で祖母が呟く。「あの夜」の散歩以降、二人の関係が大きく変わったことは、祖母もとうに気づいていた。一線を越えた人間と魔物娘が何をするのか、知らないほど無知でも無かった。
「あの子なら安心だわね」
しかし祖母は全てを許した。彼らの関係に理解を示し、それを喜ばしいことであるとさえ思っていた。博人は悪い子ではないし、マギウスも真面目で優しい子だ。あの二人ならきっと上手くやっていける。祖母は確信していた。
「――さて、そろそろお昼の準備しないと」
そこまで行ったところで思考を切り替え、祖母が厨房へ歩き出す。彼女の言う通り、時計の針は既に十二時を指そうとしていた。なおこの時、博人たちは山に散策に出かけており、家にはいなかった。
特にすることもないのなら、暇潰しに近くの山にでも行ってみたらどうだ。早朝七時、祖母が朝食を作りながら二人に提案したのだ。祖母と共に起きていた博人たち――マギウスは元より、博人もすっかり田舎の生活サイクルに順応していた――はそれを聞き入れ、食事を済ませてから二人仲良く出発したのである。
祖母がそんなことを言ったのは、ひとえに彼らの関係の進展を願ってのことだ。老婆心と言うやつである。
「せっかくだから、何か精のつくものでも作ろうかね」
厨房に向かう道中、祖母がそう言ってニヤニヤ笑う。これも老婆心だ。お節介とも言える。恋路に首を突っ込みたいだけなんじゃないかと言うのは禁止。
そしてその数分後、肝心の博人とマギウスが仲良く帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「ただいまー」
「ああ、お帰り。今作ってるから、もうちょっと待っててね」
玄関で靴を脱ぎ、手を繋いでやって来た二人を、祖母は調理しながら歓迎した。対して祖母の姿を見た二人はすぐに彼女の手伝いに向かい、そこからは三人で昼食の準備を進めた。
十二時四十分。昼食が完成する。二分かけて配膳を終わらせ、三十分ほどで食事を済ませる。
「食器は置いといていいからね」
「いえ、片づけは私がやります。お祖母様とヒロト様はどう
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