「本当に誰もいないようだな。しかも、『人だけ』がいない」
「そのようですね、シニード様」
主のつぶやきに、俺はそう返した。屋敷を出て馬に跨ること丸2日。昼前にこの村に着き、調査のためたっぷりと時間をかけ村全体を見て回った。何と言うことはないごく普通の小さな農村だ。城下から少し離れた牧草地帯に屋敷を構えるフィネガン家の人間からすると、木々がうっそうと生い茂る盆地にあるこの村の空気は、夕暮れが近いのに生暖かくて少々不快に感じた。
俺とシニード様以外に誰もいないのは、この村で起きた集団失踪事件の調査に来たのだから当然のはずなのだけど、ほんの数日前まで人が住んでいた村に人がいないのは、なんだか不気味である。それに何と言っても、この村は『人だけ』がいなくなっている。衣服や家財道具はそっくりそのままで、ロープも鍋も包丁も、斧もカバンも教会の聖書も、何もかもがそのまんまそこにある。食料も放置されて保存のきかないのは腐りつつあり、ヤギやニワトリなどの家畜も置き去りにされている。生々しいほどに生活が感じられるのにそこに人がいないといのは、逃げ出したと言うよりも消えて無くなったと思われても不思議ではなかった。
それにこの村、微かに、甘い臭いがする。ちょっとだけクサい。バラの重苦しい匂いに近く、微かにレモンのような酸味と爽やかさを感じさせるようでもあり、腐った肉のようでもある。でもただの腐敗臭とは少し違って、高級過ぎて凡人には理解できない芳しい香料のような気がしないでもない。臭いの出処はわからないけども、とりあえずは腐った食料の臭いという結論に達した。そういう事情があるから、今のシニード様の言葉にはどことなく恐怖心を帯びているように感じられた。
「まるで神隠しだな。まったく…いったいこれはどういうことか。まぁいい。見当はつく。魔物の仕業のはずはないのだからな」
「ええ、それはもちろんそうでしょう。しかし、こうも不自然だと魔物の仕業と疑いたくなる気持ちはわかります。それが狙いなのかもしれませんが」
「ジェイミーは、私と同じ考えということか」
「はい、たぶんですが。村民が税の取立てから逃げるために、神隠しを装ったのではないかなと私は思います。それか逆に…」
「伯爵側が一芝居打ったか、だろう?」
「そうです。自分の領民が逃げ出したことを恥じて、それを隠すための工作をする。で、シニード様に調査をさせて魔物の仕業、もしくは何もわからなかったと結論づけさせる。あの伯爵は、その、ちょっと言いづらいんですが…それくらいに器がの小さい方ですから…」
「二人っきりなんだ。遠慮するなよ」
「ではもう少し言わせてもらいますが、暗い噂も…。風紀の乱れた役人たちが勝手に副業をしているとの噂がありまして…伯爵もそれを黙認しているのかなと…」
「人身売買のことか。役人が人を拐って、その後始末に念入りな工作をしたのではと言いたいのだろう」
「はい、それで少し心配で…」
「いや、安心しろ。噂に振り回され、憶測だけで罪を暴こうとするほどの義侠心は持ち合わせておらんよ。実際はどうであれ、形だけの調査に過ぎないからな。何もわかりませんでした、だからたぶん魔物の仕業です、と報告して終わりさ。大真面目にこんな辺鄙なド田舎にまで来てやっただけでも、十分過ぎる働きだろう」
「それを聞いて安心しました」
「しかし、お前も主人の倫理観に口出しをしようとは、失礼な従者だな」
「いえ、主人の心情を思い図る従者とご理解下さい」
「フッ…まったく、よく言う」
主人はそう言って、頬を緩ませ皮肉っぽい微笑みを浮かべた。これで主人の恐怖心も少しは和らいだだろう。
事の真相はどうでもよく、形だけの報告をすればそれで十分。そう結論づけると、この村での用はもう済んでしまった。本当ならすぐにでもこんな村からは帰りたいところだけども、生憎すっかり日が傾いているので今日はここで一泊することにした。簡単に食事を済ませ、我々はそれぞれの寝床を確保した。シニード様には教会の牧師が使っていたであろうベッドを使ってもらうことになった。木造の慎ましい教会だが、この村で一番立派な建物だったし、ふかふかと暖かそうな寝具は清潔に違いなかった。俺はすぐ隣にある小さな民家で寝ることにした。農村の家らしく質素で飾り気のない家だった。荷物を全部家に運び込んで一息ついた俺は、ぶらりと外に出て散歩でもすることにした。空を赤く灼いた夕日はほとんどが沈んで、あかね色の残光が微かに木々の合間から差し込んでいた。間もなく、この色は空の群青色と混じり合って、空の裾野を紫色に染め直し、夜の帳が降りるだろう。それまでには戻ろうかと決めて、俺はぶらりぶらりと歩みを進めた。一応武器を持っている。歩きながら考え事をしてみ
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