季節外れの台風が去り、親魔物領にあるこの港町では活気が戻っていた。
空は快晴、雲一つ無い。
海に出る事が出来なかった分、遅れを取り戻さねばと男達はやる気に溢れ、海に住む様々な魔物娘達もまた彼らの手助けしようと朝から働いていた。
そんな活気とは対照的に、男は暗く影を持ちながら歩いていた。
その顔はまるで人生に疲れた、この世の悪も地獄も見てきたような顔だった。
(何なんだ、アイツは…)
そんな男は困惑していた。
酒を買った帰り道、何かが付いて来ているような気配がしたので振り返ってみると、柱の陰から何かがこちらを見ていたのだ。
青黒い肌に、ジッとこちらを見つめている金色の瞳。給仕服のようなものを身にまとっているが、ところどころスライムのような粘液に覆われている。足下には黒く蠢く何かが広がっている。
目が合うと柱の陰に隠れてしまうが、しばらくすると顔を出して男を見てくる。その顔には確かな笑みが浮かんでいる。
それは人間ではありえなかった。一目で魔物娘だと分かった。
(…しかし、物好きな魔物娘もいるものだ)
40過ぎた自分をストーカーする魔物娘がいるとは。
大半の魔物娘は情熱的であり、気に入った男性には積極的にアプローチをしたり、有無を言わさず交わってしまうと聞いた事がある。
親魔物領となって多くの魔物娘を見かけるようになったこの港町では別に珍しくも何ともない。時々、若い男が魔物娘に言い寄られているのを何度か見た事はあれば、魔物娘にプロポーズしているのも見た事があるくらいだ。
魔物娘という非日常は気が付けば、日常に寄り添い溶け込んでいた。それを受け入れられない土地もあるらしいが、人間は適応できる生き物だ。いずれ、時代は人間と魔物娘が支えていくものとなり、歴史は築かれていくだろう。
ため息を吐き出し、男は帰路に着いた。後ろの魔物娘の気配は消えないが、男は気にしなかった。
もしも、あの魔物娘が自分に危害を加えると言うのなら男に抗うつもりは無い。それを受け入れるまでだ。
「…ショゴス?」
魔物娘図鑑を開き、あの魔物娘が何者なのか、調べてみるとすぐに見つかった。
ショゴス。かつて、混沌の魔物達に奉仕生物として生み出された存在。彼女達は魔王が代替わりした際に感情と知能を手に入れて、自分達が仕える主人を求めているのだと言う。
彼女達は自分達を使役する事を望む男性、もしくは気に入った男性に仕える事を望む。
何故、そんな魔物娘が男の目の前に現れたのか。男はショゴスの存在を知らなかった。だから、前者はあり得ない。となれば、後者だろう。男はあのショゴスに気に入られたのだ。
「…どうして俺なんだ」
図鑑を閉じると、男は疲れたように椅子にもたれて部屋中を見回す。
白い小さな埃が舞い、その向こうにゴミくずの山が見える。目を覆うばかりの、しかし、見慣れた光景だ。男は今後もゴミくずに埋もれ、精神力をつぎ込む価値のある問題が訪れるのを待つ事になるだろう。しかし、今までの経験からしてそれはしばらく訪れない。
足下の酒瓶を蹴飛ばし、男はベッドに倒れ込んだ。洗濯もしていなければ、日光に干してもいない薄汚れたベッドが今では男の安住の地だった。
「……また今日も生きていかなければいけないのか」
ぼそっと呟くと、男はベッドに転がっていたゴミを床に落とし、眠りに落ちた。
−やれ、ジャック!今更怖気ついたのか!?−
−…ッ!−
−やらなければ、お前も死罪だぞ!やるのだ、ジャック!!−
−…お、俺には…俺には…!−
−…もう良い!他の者を連れて来い!この腰ぬけの処罰は後ほどだ!!−
「…ッア!」
男…ジャックは夢の途中で飛び起きた。
体が嫌な汗で濡れ、息が荒い。肺は酸素を求め大きく激しく動いていた。
悪夢と呼ぶに相応しいその夢はジャックの決して消える事の無い心の傷を映像化したものだった。
(…分かっているさ)
額から落ちる汗を拭い、ジャックは静かに目を閉じた。
分かっている。
そう、分かっているのだ。
顔を手で覆い、天井を見上げると、額に冷たいものが当たった。それと同時に聞こえる静かで甘い声。
「大丈夫ですか?旦那様」
ジャックは慌てて見ると、ベッドの横にあのショゴスがいた。
ショゴスは心配そうにジャックを見つめ、その手には薄い紫色のタオルが握られている。恐らく、ジャックの汗を拭こうとしたのだろう。
「キ、キミは…」
喉から出た声は耳障りな音だった。
ショゴスはそれに不快感を示すでもなく、ニッコリと笑い深々と頭を下げた。その仕草にジャックは何か違和感のようなものを覚えた。まるで昔から自分に仕えていたような、ずっと前からこの家にいたようなそういっ
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