それはほんの気まぐれだったのかもしれない
視界を白く染め、容赦なく叩きつける吹雪の中に佇み、ゆっくりと足を進める。吐いた吐息が雪の結晶となって唇から離れていく。何処を見ても何も変わらない。何もない、無の白。その中で彼女はただただ存在した。
何故、こんな事をしているのか。それは氷の女王、エルゼルにすら理解できなかった。
氷の女王は本来、雪山の最奥、人の寄りつかぬ“氷の宮殿”に住んでいる。彼女達はそこから自分が治める雪原地帯の全てを知る事が出来る。雪原地帯に住む魔物娘が人間を捉え夫婦になったり、愛を営んでいる事すら彼女達は知る事が出来る。
エルゼルも知る事は出来る、しかし、詳細に知ろうとは思わない。それは愛の営みは本来夫婦だけのものであり、エルゼルは氷の女王であり治める王ではあるものの土足で入っていい領域で無い事は理解できているからだ。
(…私は何故ここにいる)
何故今自分がここにいるのか。それはエルゼルにすら分からない。
肌に当たる吹雪、それは本来なら体温を奪い、死を与える死神の如く存在であるが、エルゼルにとって死神の吹雪ですら何の意味も持たない。
自問自答しても答えは返ってこない。
凍った心に響く声も何もない。
ただ、ザクッザクッという踏まれる雪の音が足から伝わってくる。
エルゼルは今の気持ちをどう表現していいのか分からない。ただ、宮殿の王座に1人でじっと座っている時の気分とは違う事は理解できた。
もしかしたら自分は何かが壊れてしまったのかもしれない。
エルゼルはそんな事を思い始めていた。
身も心も氷のような冷気で出来ているエルゼルにとってこれは無駄なものである。自身が何を考えどうしたいのかそれすらハッキリとしない。
そんなもやもやが心を占めつつもその中にほんの一握りだけ、微かに光があるような気がする。
エルゼルにはその光が何なのか分からない。それどころか、その光は自分の気のせいなのかそうでないのかそれすら理解できない。
迷いながら歩き続けるエルゼルに言葉をかける者はいない。
エルゼルの行動を説明できる者もいない。
それは彼女が彼女であると自覚している時からそうであった。
エルゼルに家族はいない。気が付いた時から既に独りだった。配下のグラキエスくらいしか彼女が言葉を交わす相手はいない。しかし、言葉を交わすと言っても一言二言交わす程度であり、1ヶ月にあるか無いか程度の事だ。それを寂しく思った事も無ければ、惨めに感じた事も無い。エルゼルは命ある者が所詮1人だという事を知っている。友人や家族に恵まれている者も、エルゼルのように1人ぼっちの者も結局は同じ「孤独」という根なのである。
「……?」
そんな事を思いながら歩いていると、奇妙な物が目に入った。
雪をまとい枝が重みで垂れている木の下、そこに黒い毛皮をまとった男が雪の中に埋もれていた。エルゼルが男だと理解できたのは恐らく本能的な物であろう。
エルゼルはゆっくりと倒れている男の元まで歩き、男を見下ろした。
まるでハリネズミのように逆立った金髪、真っ白い雪とは対照的な日に焼けた黒い肌。年齢は若くはない。恐らく30代後半だろう。顔に刻まれた皺がやけに目立つ。口の周りを無精髭が覆い、目は深く閉じられている。服の上からでも分かる盛り上がった筋肉は男が戦士である証だろう。
男は気を失っていた。
(何者だ…?)
エルゼルは首を傾げた。領地内の全てを知る事が出来る彼女がこの男を見逃すとは思えない。とすれば、探知をさせない魔術的な何かを使っているのだろう。氷の女王であるエルゼルですら探知できない高度な魔法を用いる者がこんな雪山にいるという事は何か訳ありなのかもしれない。
エルゼルは面倒事を好まない。変化は迎え入れるべきだが、厄介事はそういうわけではない。この男を追ってこの雪山に踏み入る者達がいるかもしれない。それが教団であるならばややこしい事になる。
しかし、放っておく事は出来ない。
それは道徳的な考えからではない。新魔王の命令により、魔物娘達は人間を見殺しにするような事は出来ないからだ。だから、エルゼルもこの男をこのまま凍死させる事は出来なかった。
ただ命令に従いこの男を助けるだけ。そこにエルゼルの意思は無い。
(この辺りにはいない…)
魔力探知でこの付近にいる魔物娘を探したが、いなかった。一番近い魔物娘でも8キロ程離れている地点にウェンディゴがいるだけだ。
(…仕方ない、か)
エルゼルは男の身体をグイッと持ち上げると肩の下に手を入れ、男の体を支えた。
宮殿まではそう遠くない。おそらく間に合うだろう。
そう考え、エルゼルは歩きやすいように男の身体をグイッと近付け、触れる手に力を入れた。
(……?
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