(ついに降ってきたか…)
青から鉛色に変わった空を見て嫌な予感がしていたが、ついにポツポツと雨が降り始めた。最初は葉の上をなぞる程度の強さだった雨粒は、次第に勢いを増し容赦なく打ち続ける。
強くなっていく雨に慌てて、ジョン・グルンべルドは歩みを急がせた。
今日中に街道を抜けたかったが、この雨では仕方がない。しかし、こんな道のど真ん中でテントを張って野宿するわけにもいかない。
(嫌になっちゃうなぁ…)
内心、悪態をつきつつジョンは雨をやり過ごせる場所を探していた。
それから数十分後、ジョンは林の中に入りそこで丁度良い洞窟を見つけた。彼自身、無神論者だったがこの時ばかりは神に感謝をした。
慌てて洞窟に入り雨除けのコートを脱ぐと、背負っていた荷物が雨で濡れてダメになっていないか確認した。東方から取り寄せた様々な雑貨や調理器具は問題無い。しかし、書物の一部は濡れて字が滲んでしまっている。雨対策に防水用の袋に入れておいたのだが、どこかから水が入ってしまったようだ。
(あ〜…やっちゃったな)
字が滲み、すっかり灰色になってしまった書物を広げ、ジョンはガックリと肩を落とす。
頭頂部を覆う鉄灰色の髪は綺麗に刈りそろえられ、髪と同じ色をした灰色の瞳には売り物にならなくなった書物が映っている。分厚い肩に、丸太のような腕には太い腱と血管が走っている。30年近く嫌になるほど重い荷物を運んだり、背負って山を越えてきた男の証のようなものだ。
ジョン・グルンべルドは商人だった。
家を持たず、世界中をその日暮らしで旅をし、その地の特産品を買うと別の場所で商売するのだ。何にも縛られず自由気ままな生活をするジョンを信頼する者、憧れる者は多い。
しかし、ジョンには友人と呼べるような存在はいなかった。
皆、確かにジョンを信頼はしているのだがそれと友達とでは話は別だ。あくまで仕事上の関係であり、それ以上でもそれ以下でも無い。単なるビジネスパートナーというだけだ。
それに対して不満は無かったが、やはり寂しいものだ。
(こんな時に旅仲間でもいればなぁ…)
懐から煙草と火打石を取り出しながら、ジョンはそんな事を考えていた。
雨の中で1人洞窟ほど空しい時間は無い。雨が静寂を奏で、色彩は黒に染まる。そんな中、唯一友と呼べるのは煙を上げる煙草のみだ。
肺に煙を吸い込み、ジョンはため息交じりに煙を吐き出した。
「はぁ…全く」
「おい」
後ろから呼びかけられ、ジョンは思わず飛び上がった。ジョンはそのまま前に転がり慌てて後ろを見た。
そこにいたのは一匹の魔物娘だった。
洞窟の中でも映える新雪のように白い肌、紫がかった青髪のショートボブに女性らしい細く滑らかなラインとアンバランスな巨大な蛇の下半身、その身体のバランスはゾッとするが美しかった。ラミア種特有の蛇体ではあるが、尻尾の先端や腕に羽毛のようなものがある。さらに、手は人間の物ではなく鳥類の足に似ている。
しかし、それ以上に目立つのは彼女の顔であった。
彼女には顔が無かった。
正確には見えないのだ。
巨大な眼をモチーフにしたようなマスクが顔の上半分を覆い、素顔を見せる事を許さない。スッと通った鼻立ちに、不機嫌そうに一文時に結ばれた口、どちらも整った形をしている。
彼女がラミア種である事は間違いない。しかし、ジョンの知っているラミア種とは違っていた。ラミアでもなければ、エキドナでもない。アポピスと白蛇はこんな洞窟には生息していないはずだ。
ジョンの無遠慮な視線にその魔物娘は不機嫌そうに鼻を鳴らすと蛇体の下半身を大きく揺らし、ジョンに近付く。
「…教団の者ではないようだが、何者だ?貴様は」
「わ、分かるのか…?」
あのマスクは視界を得るような作りでは無いのはジョンでも分かる。しかし、この魔物娘はどういう方法かは分からないが、ジョンの事が見えているらしい。
「知るか。まぁ、いい。とっととここから去れ。ここは私が先にいたんだ」
ジョンの言葉に対し、ぶっきらぼうに答える。その言葉には棘があり、苛立ちがあった。
ジョンは魔物娘を刺激しないようにゆっくりと立ち上がると言葉を選んだ。
「ま、待ってくれ。外はこんな雨だし、品物も」
「黙れ」
ジョンの言葉を遮る有無を言わさぬ言葉による一刀両断。それにジョンは会話の余地が無い事を察すると大人しく荷物を片付け始める。それを魔物娘はただ静かに見つめ、時折威嚇するように爪を鳴らした。
ふと、ジョンは疑問を覚えた。
「お、襲わないのか…?」
「なに?」
「いや…だから、キミは魔物娘だろう?その…魔物娘って男を見つけると襲いかかってくるって言うが……」
ジョンの言葉は本当だ
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