「財布は持ったか?」
「あぁ」
「着替えは?」
「持っている」
「知らない人に話しかけられても付いて行くなよ?」
「子ども扱いするな!!」
しつこく聞いてくるシドに人虎の夜薙(やなぎ)は声を荒げた。
人虎は虎の特徴を持った獣人である。強靭な肉体と高潔な精神を持っている。生まれながらの武人であり、非常に理知的な魔物娘だ。他の魔物娘のように色恋沙汰に夢中というわけでは無く、彼女達は常に自らを高めようと厳しく律している。
人と魔物娘が共存するようになってからは人虎を人間の経営する道場などで見るようになり、人間以上に理性的で物静かな彼女達に憧れる者も多い。
気高く、美しい人虎は確かに憧れを抱かせるだけの存在である。
だから、シドは不安になるのだ。
「何言っているんだよ、お前…だって、いつも」
「今度こそは大丈夫だ。お前が心配する必要はない」
シドの言葉に夜薙はフンと鼻を鳴らした。
「それよりもシド、私がいないからって寂しくなって泣くなよ?」
「オレは……」
大丈夫と言いかけてシドは言葉を止めた。
ここで大丈夫と言っては夜薙の機嫌を悪くさせるだろう。プライドの高い彼女の事だ、自分がいなくて平気とは何事だ!?と拗ねられては面倒な事になるのは目に見えている。
だから、シドは顔を伏せ言葉を選んだ。
「そうだな、夜薙がいないと寂しい。だから、早く帰ってきてくれよ?」
「そうだろう?安心しろ。私もお前を長く、1人にするつもりはない」
シドの言葉に夜薙は満足そうに微笑んだ。
そんな夜薙にシドは苦笑したが、決して今の言葉はまったくの嘘ではない。ある程度本音も入っている。
「では、行ってくるぞ」
「あぁ、気を付けてな」
夜薙は荷物を肩にかけ、家から出て行った。シドはその後姿を確認すると、ゆっくりと台所へ向かった。
人虎である夜薙は己を高めようと武者修行に「何度」も旅立とうとした。彼女曰く、常に上を目指しそのための努力を怠ってはならないとのことだ。その姿勢は見習うべきだとシドも考えている。
しかし、シドは1つの心配事を抱えていた。今回こそ大丈夫だと良いが…
朝食の残りを片付け、食器を洗い、昨日仕込んでおいた料理をチェックするとシドは湯を沸かし、棚からまんじゅうを取り出す。ジパングで学んだこのまんじゅうはシドの得意料理の1つだ。お湯が沸騰したのを確認すると、シドは湯呑に茶葉を入れてお湯を注ぐ。
ふわりと鼻腔に広がる豊かな香りに、美しい緑色のお茶が見ていて心を落ち着かせる。
(そろそろか?)
夜薙が家を出て数十分、いつもならそろそろのはずだが…?
シドがそう考えていると、扉を叩く音が聞こえた。それは小さく、注意していなければ聞き逃すほどだ。
再び扉が叩く音が聞こえる。シドはため息を吐き出し、玄関へ向かう。
玄関につき、扉をゆっくり開けるとそこには旅立ったはずの夜薙がいた。
「……」
唇を噛みしめ、悔しそうに伏せられたその目には今にも落ちそうなほど涙が溜まっている。拳を作った手がプルプルと震えており、鼻をすする音が空しく響く。
(今回も駄目か…)
シドは内心はそう思いつつも表に出さず、無言で夜薙を家に入れる。夜薙もそれに逆らわず、大人しくシドに従った。
シドの心配事はこの事だ。
夜薙は心細くて1人旅をする事が出来ないのだ。
「……私は駄目な人虎だな」
それから数分後、湯呑に注がれた緑茶に映る自分の顔を見ながら夜薙は呟いた。その口調には自虐、嫌悪感の他に複雑な感情が混じり合っているのをシドは見逃さなかった。
「そう自虐的になるな。ほら、まんじゅうだぞ」
「……」
差し出されたまんじゅうとシドの顔を交互に見つめ、夜薙はおずおずとまんじゅうを頬張った。夜薙の大好物のはずなのに、夜薙の顔は暗いままだ。
(重症だな…)
黙々とまんじゅうを食べる夜薙を見つめ、シドは彼女と出会った時の事を思い出していた。
ちょうど1年前、ジパングで料理修業を終え、帰国したシドはとある山の中で山賊に襲われた。それを助けてくれたのは夜薙だった。
武器を持った屈強な男達に囲まれ、死を覚悟していたシドだが、夜薙がその場に現れ山賊達を打ち倒したのだ。
夜薙にやられた部位を押さえ、罵詈雑言を浴びせながら山賊は逃げて行った。
シドは礼を言おうと夜薙に近づいた。
そして、彼女が泣いている事に気が付いた。
月明かりに照らされ、彼女の頬を一筋の涙がこぼれ落ちる。山賊達の血で染まった手を見つめ、その表情は言葉では言い表せないほど悲痛なものだった。シドはその顔を一生忘れる事はないだろう。
その時は何故、彼女が泣いているのかシドには理解でき
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