学のない庶民は勘違いすることもあるが、領内の全てを藩主が決めているわけではない。
無論、支配者としての教育を受けてはいるが、種々の専門分野において、事細々と口を挟めるような知識はないのである。
藩主の仕事というのは、問題解決や計画進行において、許可・承認の印を与えるぐらい。
他所はどうだか知らないが、我が藩においては家老たち側近がしっかりしているので、それで問題なく回っている。
「……だからといって政務を放り出し、午前から私に酌をさせるのはどうなのです?」
『問題起きてないんだからいいじゃないか』と言ってみるも、納得せずに半目を向けてくるのは一人の妖怪。
(生まれつきだが)死人の妖怪である彼女は名を沙(シヤ)と言い、自分が幼い頃から側仕えしてくれた姉のような存在だ。
真面目にすぎる彼女は、急を要さない案件を後回しにして、息抜きをする自分が気に入らないようである。
「良い事ではありませんが、息抜きの一献ぐらいなら私も黙認しましょう。ですが、酒瓶を並べて、私に芸者の装いさせるなど、本格的に飲むつもりではないですか!」
ついに我慢できなくなったのか、徳利を叩きつけるようにお盆に置いて『ウガーッ』と怒る沙。慣れない芸者の着物だからか、荒い動きで両肩がはだけて色っぽい。
「百歩譲って酒は良いとしましょう。ですが私に芸者の格好をさせる必要がどこにあるのです! 私は武士ですよ!? 刀を手にして戦うのが役目です! 番傘をさすのが仕事ではありません!
こんなことしていたら『ウチの殿さまは刀と傘の区別もつかないバカ殿だ』などと言われますよ!」
『バカ殿』という領民が口にするあだ名を引き合いに出し、沙は説教する。
仕える主君が民衆に笑い物にされているのが気に入らないのだろう。
だが『刀と傘の区別もつかない』というのは悪くないじゃないか。それだけ領内が平和だということなのだから。
「領内は平和でも、ジパングは平和ではありません。
小康状態とはいえ、西側諸侯との争いは終わっていないのですから」
かなりの昔、ジパングでは全国諸侯が東軍西軍の二陣営に分かれて、大規模な戦を行ったことがある。その結果は妖怪たちを味方につけられた東軍の勝利。
お題目の一つとして妖怪排斥を掲げていた西側諸侯は大きく勢力を減じ、東側諸侯の盟主がジパング支配者の地位を名乗るのを止めることさえできなかった。
「それにあまりに放蕩具合がすぎれば、大将軍さまに蟄居させられることも考えられます。いかに親藩の藩主といえど、罰を与え処分を下せる者はいるということを忘れてはいけません」
『そうなってほしくないのです』と言外に言う沙。
怒りでなく憂慮からそう言われると『悪いことしたかな…』と少しは思ってしまう。
だがそれは無いだろう。
大将軍とは歳の近い従兄弟で仲良くしているし、彼も『早く国内統一して、バカ将軍と呼ばれるぐらい遊び倒したい』って愚痴ってたから。
最高権力者だってそう言ってるんだし…と説得してみるが、それを聞いた彼女は冷たい目になった。
「このことは、老中さまに書簡で報告しましょう。
大将軍ともあろう方が、内密とはいえ、そんなことを口にするとは……」
しまった、逆効果だった。これだと彼もお説教を食らうことになってしまう。
次にお目見えした時、切腹とか申しつけられないだろうな……。
内心で不安になる自分をよそに、沙はお説教のまとめに入っていた。
「とにかく、他に優先することが無いのなら、案件には早く返してください。
宴や祭りの日でない限り、酒を口にするのは夜間のみとします。いいですね?」
否とは言わせてくれない口調で沙は言う。
仕方ない、しばらくは日中に遊ぶのは控えよう。
自分は手にしていた盃を盆に置いて、酒を部屋の隅に下げてもらう。
すると彼女は『まったく…』と言いたげに鼻息を吐いた。
「分かっていただけたなら結構です。では……」
早速、後回し案件を持ち出そうとした沙。それを遮り、ズザッと彼女を畳に押し倒す。
すると肩まで見えていた着物がさらに下がり、さらしをしていない胸がフルンと露出した。
剣の達人たる彼女であるが、身内かつ殺気の無い相手には反応が遅れるのである。
「なっ! いきなり何をするのですか!?」
突然の凶行に沙は抗議の声をあげるが、口づけをしてそれを黙らせる。
妖怪の彼女がその意味を解さないわけもなく、不測の事態に緊張した身から力が抜けた。
「んっ…殿、このような事は、政務を終わらせてから……」
口では拒む彼女だが、内心はもうその気になっているのが分かる。
酒の代わりに沙を味わいたいと言えば、反抗する気など失せてしまうのだ。
「仕方ないですね…。貴方は小さい頃からそうなんですから……」
『一度決めたら言っても聞かない』と懐かしむように沙は言い、
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6..
9]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想