非常事態に食べるから非常食

大岩小岩、大石小石がゴロゴロ転がっている山の中腹にある岩場。
一人の男が足元の石に躓きそうになりながらそこを走っている。
男の形相は必死……というほどでもないが、かなり焦っている感がある。
それもそのはず、男は今まさに追われている最中なのだ。

「ヒャッハー! おら、逃げろ逃げろぉ!」
男が今通り過ぎた大岩に突然の落雷。岩は轟音と共に砕け、無数の石と化す。
男はチラリと振り向くと、粉々になった岩を見て顔をしかめた。
危害を加える気はないと分かってはいるが、その威力には慄かざるを得ない。

「あ〜ん? ビビったのかぁ? 降参でもするかぁ?」
バサバサッという羽ばたき音と共に上から響くのは魔物の楽しげな声。
男は上空を見上げ、憎々しげにその姿を視界に収める。

寒色系の羽毛で覆われた両翼。
ブーツに酷似した質感と色の両足。
どこの踊り子かと思える、やたら露出度の高い服。
男を襲っているのは、魔物の一種であるハーピー。
それも特に気性の荒い、サンダーバードという種であった。



男は旅人である。
といっても目的のある旅をしているわけではなく、行くまま気ままの放浪の旅人。
男はとある王の隠し子であり、幼い頃に存在が発覚して以来周囲に様々な目で見られていた。
やがて成長し才能を現わし始めると、周囲の目は警戒へと変わった。
無能で良い人形になる嫡子と比べて、男は有能だったのだ。
そんな周囲の視線に嫌気がさし、男は国を棄てて旅へ出た。

男が生まれ育ったのは反魔物国家であり、初めの頃は反魔物の国しか旅をしなかったが、
しばらく旅を続けるうちに親魔物国家へも立ち寄るようになった。
そして魔物の真実を知り、魔物への無条件な敵意や恐れは消え去った。
だが魔物への好意を持ったかというとそれは違う。

とある親魔物の町で目にした人間とダークエルフの夫婦。
ダークエルフは夫の事を『奴隷』と呼び、ピシッ! と鞭で叩いた。
そして夫は公衆の面前でありながら、快感の叫びを上げて悶えたのだ。

どちらかといえば男尊女卑な考えを持つ男は、
魔物に捕えられ“そういう扱い”にされるのだけは心底ゴメンだと思った。
それ以降男は乾燥させたキノコを一本入手し、最終手段として持ち歩いている。



――――そして現在。
男は最終手段を使うかどうかの瀬戸際に立たされていた。



始まりは太陽が中天に昇り、昼食休みも兼ねた休憩を取ろうとした時のこと。
男が平らな石に腰かけて昼食を取り出そうとした瞬間、ゴロゴロと雷鳴が鳴り響いたのだ。

山の天気は変わり易いとはいえ、雲一つない快晴なのに?
そう疑問に思い空を見上げると、そこにはポツンと異形の影が一つ。

「ヒャッハー! やっと男を見つけたぜー! そこ動くんじゃねえぞー!」
甲高い歓声をあげて急降下してくる異形の影。
それを魔物だと認識すると、男はすぐ立ち上がって駆けだした。

もちろんただの魔物が相手なら男も逃げはしない。
警戒しつつも無関心を装って、スルーしようとするだろう。
だが、今回現れた魔物の声は明らかに“狙っている”声だった。

男は知っている。
魔物の中には“モヒカン”という隠語で呼ばれる存在がいることを。
“モヒカン”の種族は様々だが、基本的に強気・凶暴な性格で、
無理矢理にでも男性を犯そうとする性質は共通している。
そんな奴に捕まったら、どんな目にあわされることか……!

「おー? 逃げんのか? 追い駆けっこかぁ?
 いいぜいいぜー、あがく獲物の方が犯りがいがあるってもんだ!」
魔物は逃げる男の背に嗜虐心が刺激されたのか、降下するままに飛びかかりはしなかった。
その代わり、付かず離れずの微妙な距離と高度を保って男を追跡する。

(ひひっ、飛んでるアタシから走って逃げられると思ってんのかねぇ?
 さあ、走れ走れ。立てないぐらい疲れたトコで犯してやっからよぉ!)
気を抜けば石に躓き、運が悪ければ足を挫きかねない最悪の足場。
男はそんな大地の上を跳ねるように逃げていく。
そして魔物は話しかけたり、雷を落としたりとちょっかいを出す。
そんな追跡劇が十分近く続き、ついに男が躓いて転んだ。

硬い地面に体を打ちつけ、男はぐっ…と呻きをもらす。
だが痛みに構っている場合ではない。早く立って走らなければ―――!
そう考えるも、一度止まってしまった足はがくがくと震え動かない。
全力疾走ではないが、相当な早さで長時間走ったのだ。
男の両足は疲労の蓄積に耐え切れず、ストライキを起こしていた。

「ヒャハハ! きれいにすっ転んだなオイ! ほら、早く立って逃げてみろよ!
 できないってんならテメェで素っ裸になりな! そうすりゃ少しは優しくしてやっからよぉ!」
魔物は倒れた男の上をグルッと一周し、少し離れた岩の上に降り立つ。
(よしよし
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