ピンクは淫乱

魔物は人間を殺しむさぼり食う。
いまどきそんな話を信じているのは、反魔物国家の田舎に住んでる奴ぐらいだろう。
新魔物国家、中立国家は言うに及ばず、反魔物国家の人間だって大多数はそこまで思ってない。

まあ、反魔物国家は“人間を直接殺すのではなく、堕落させる方針に変わっただけである”
と説いて、魔物の危険性は全く落ちていないと教えているらしいが。

中立国家で育ち、現実を知っている身としては、魔物よりは野生動物の方が恐ろしい。
特に砂漠地帯は毒蛇、毒蠍、毒蜘蛛…と有毒生物の見本市。
魔界化したならともかく、普通の環境ではこいつらは遠慮なく命を奪おうとしてくる。
いや、だからといって魔界になって欲しいわけでもないけど。

さて、今現在の魔物は人間の命は奪わない。
しかし、全く安全というわけでもないのだ。
肉体的な危害は加えなくても、精神的・社会的な危害を加えることはある。

例えばの話だ。
ある男性がラクダを率いて、商取引の荷物を運んでいたとする。
そこに魔物……仮にグールとしようか。
グールが現れて、襲撃してきたとする。
戦いの心得などない男性はいとも容易く追い詰められ絶体絶命。
そこで男性は命乞いをする。

『この荷物を明日までに届けないと大損してしまうんです。お願いです、見逃してください』
グールはこの願いを聞き届けて、男性を逃してくれるだろうか?
『ヒャッハー! そんなの関係ねえ!』と凌辱されるのがオチだ。
そしてこの男性は魔物との快楽に満ちた生活と引き換えに、
コツコツと築いてきた取引先との信頼や財産を失うことになる。

そこまで深刻な話でなくとも“荷物が来ないぞ? どうしたんだ?”
と相手に心配をかけることになるし、何らかの作業に必要な物資を運んでいたなら、
その作業や計画をストップさせ、多大な迷惑を与えてしまう。

だから、旅する商人たちは弟子を連れ歩く。
自分の近くに置いて仕事を手伝わせ、いざという時は生贄として魔物に差し出すのだ。
幸運にも一人で働けるまで育ったら送り出してやるが、またすぐに新しい弟子をとる。
余所はともかく、自分の国ではこれが商人の一般的な姿。

いざという時は生贄にされるのに、弟子になる奴なんかいるのか? と思うかもしれないが、
弟子になるのは大抵行き場のない孤児や浮浪児だ。

地域にもよるが、多くの親魔物国家や反魔物国家には孤児院があり、身寄りのない子供もある程度は生活できる。
しかし自分の育った中立国家にはそういうものは無かった。
教団、魔物共に影響力が弱い中立国家では支配者が全て。
支配者が福祉に興味を持たなければ、そういった子供たちは捨て置かれる。
この弟子取りのシステムについても、福祉ではなく通商の問題から出てきたものだ。
魔物が商人を襲うなら、代わりの生贄を連れ歩けば良いじゃないかという具合に。

幸いな事に自分を引き取った師匠は善良な人物だった。
弟子を奴隷扱いする者も多い中、きちんと人間として扱い、
将来的に商人としてやっていけるよう教育もしてくれた。
もう、師匠には感謝してもしきれない。

だから―――巨大な砂虫に襲われた時、自分は師匠を逃がすため自ら囮になった。

“この旅が終わったら、お前も一人前だ”と言ってくれた師匠。
ラクダを連れて遠ざかっていく師匠は複雑な顔でこちらを顧みる。
別に師匠だって自分が死ぬだなんて考えてはいないだろう。
“弟子”として扱ってきた相手を最後の最後に“生贄”にしてしまったことに、
やるせない感情を抱いているのだと思う。
しかし、この囮は自分の意思でしたことだ。

長い闘病生活の末、明日をも知れなくなったという師匠の妻。
旅の商人をしながら探し回り、ついに手に入れた、身を蝕む病を治せるという奇跡の薬。
それを持った師匠が魔物に捕まってどうするというのか。
薬を託して逃されたとしても、妻が回復した時、その場にいない師匠の事を自分は何と伝えればいいのか。
自分が生贄になることが、誰にとっても一番良いのだ。

足を取る砂の上を走り、できる限り師匠と逆方向に離れる自分。
砂虫は老年に差し掛かった師匠より、まだまだガキな自分の方が美味しいと見たのか、
ラクダの隊列には目もくれず後を追ってきた。

自分は全力で走って走って――――すぐ力尽きた。
そりゃあ、命がかかっていれば限界を超えて走れたかもしれないけど、
“危険ではない”と理解している頭は、リミット解除の許可を出してくれなかったのだ。
長距離走の訓練なんてしていない自分は、真っ昼間の熱さもあり、あっという間に熱限界。
もうだめだー、と砂の上に倒れ込む。

それを見て観念したと思ったのか、すぐ後ろまで迫っていた砂虫が停止した。
蛇のように高く鎌首をもたげ、左右3対の赤い単眼がピントを合わせる。
閉じられ
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