月も高くなり村の人間がほとんど眠りにつく頃。
わたしは物置小屋に隣接する蟲カゴを抜け出します。
蟲カゴは頑丈な竹で組まれていますが、ムカデのアゴで齧ってしまえば簡単に壊せるのです。
ボリボリ、ガリガリ、ペッ。
わたしはカゴに穴を開けると口にした竹を吐き出しました。
ムカデは竹なんて食べませんから。
わたしは足音を殺しながらサササ…と家へ近寄り壁を登ります。
入口はしっかりと戸締りがされているからこれは仕方ありません。
わたしは屋根の隙間からそーっと屋根裏へ侵入し、ご主人様の部屋へ行きます。
そしてご主人様の部屋の上へ辿り着くと、天井板を外してその中へ潜入。
畳の上へ降りると、白い布団に包まれて静かに眠っているご主人様が複眼に映りました。
(ご主人様、今日は寒いです。温めてください……)
魔物とはいえムカデのわたしは変温動物。寒いより温かい方が良いのです。
わたしはご主人様の布団に潜り込み、その体温を感じながら眠りにつきました。
―――ゴロン、と体をひっくり返された衝撃でわたしは目が覚めました。
またカゴを抜け出して……と呟くのはご主人様。
わたしはワサワサワサ…と足を蠢かせながら体をくねらせ起き上がります。
(おはようございます、ご主人様)
わたしはギチギチとアゴを軋ませて挨拶をしますが、ご主人様は何も反応してくれません。
人間の言葉を喋れないのだから仕方ないのですが、わたしはとても残念です。
ご主人様は起き上がると乱れた服を正し、寝室を出ます。
木張りの廊下を進んでとあるふすまを開くと、ちゃぶ台を前に座るお父さま。
ご主人様は“おはよう、父さん”とあくびを噛み殺しながら挨拶をします。
箸でおかずをつまもうとしていたお父さまは、ご主人様の挨拶でちゃぶ台から視線を上げました。
そしてその目にわたし達を捉えるとまたか…といった顔になります。
「おまえまた蟲と同衾したのか。懐いてるといってもそいつはれっきとした魔物なんだ。
ちゃんと管理しておかないと、痛い目に遭いかねないぞ?」
蟲使いとしてまだまだ半人前だなと、お父さまの厳しい言葉。
ご主人様は“やりたくてやってるんじゃない”とこぼして、自分もちゃぶ台の前に座ります。
そうすると台所にいたお母さまが、おぼんで朝食をもってきました。
それが目の前に置かれるとご主人様は“いただきます”とちゃんと手を合わせて食べ始めます。
わたし達の住んでいる村はいわゆる山中の隠れ里なので、おかずは専ら山の幸。
山菜やキノコがほとんどです。
ムカデのわたしは肉食性なので、ご主人様と同じものは食べられません。
いえ、無理に食べようとすれば食べられるのですが、消化不良は確実なので。
ご主人様がもしゃもしゃと植物どもを口に運ぶのを、わたしはしばし眺めます。
そして箸を置いて“ご馳走様でした”といったところで、食後のお茶の時間。
お母さまが熱々の緑茶を湯のみに入れて持ってきました。
気を付けなさいよとお母さまが一声かけて、ご主人様に手渡します。
フーフーと息を吹きかけて、お茶を冷まそうとするご主人様。
わたしはその背後から首を突き出し、毒牙からポタポタッと毒液をお茶に混入します。
大百足の毒は傷口から入れば命を奪う猛毒ですが、
胃から取り込めば強力な滋養強壮の薬にもなります。
ご主人様にはぜひとも健康でいて欲しいとわたしは願うので、
こういう機会があれば毎回しているのですが……。
“またやりやがったコイツ”とご主人様はこぼして、ペシンとわたしの頭を叩きます。
そして立ち上がると、台所へお茶を流しにいってしまいました。
(……また飲んでもらえなかった)
味も香りもあまり変わらないはずなのに、ご主人様は毒液を入れると毎回捨てにいきます。
一度くらいは飲んでくれてもいいと思うのですが……。
毎度のこととはいえ、わたしはガックリ。
いつか飲んでくれたらいいなあ……と未来に希望を託し涙を飲み込みます。
まあ、節足動物のわたしに涙腺なんてありませんけど。
朝食が終わった後は畑仕事。
色々な事情でこの村はそれなりに裕福なのですが場所が場所。
店なんてないので、食料ぐらい自給自足しなくてはならないのです。
野良着に着替えたご主人様は水筒を持ち、物置へ農作業具を取りに行きます。
そして大穴のあいた蟲カゴを見て、はぁ……とため息をつきました。
なんでお前はカゴでじっとしていられないんだろうなあ、と語りかけるご主人様。
ご主人様はこのあと暇を見てこの穴を修繕しなければならないので、
そう愚痴りたくなるのは仕方ないかもしれません。
別にわたしもご主人様を困らせるのは本意ではありません。
畑仕事を終えた後、疲れた体にムチ打って修繕する姿を見ると罪悪感も湧いてきます。
新しい竹で塞がれた穴の痕
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