召喚儀式というのは面倒なものである。
供物を用意した上で複雑な召喚陣を描き、長々と呪文を唱え続けなければならないのだから。
燭台のロウソクに照らされた地下室。
少年が魔道書と手元を交互に見つつ、石の床の上に白墨で図形や文字を書き込んでいく。
ただでさえ複雑な上に薄暗いから間違って描き直すこともしょっちゅうだ。
召喚陣は一つ間違えるだけでその一ブロック分を綺麗に消して描き直さないといけない。
一字書き損じただけだから……といい加減にそこだけ修正したのでは不正規な儀式と見なされ、何も起きなかったりする。
それだけならまだ良い方で運が悪ければ召喚対象に襲われて殺されることもある。
だからどれだけ時間をかけようとも召喚陣だけは一片の間違いもなく描き上げねばならないのだ。
えーと、ここはGで……ここはVV? それともW?
少年はときおり手を止めて考えつつ召喚陣を描き続ける。
魔道書は日常語で書かれていないので、見習いレベルなら文字を間違えることさえあるのである。
たぶん……Wだろうな。
少年は半分以上カンで決めて字を書いた。
そして部屋の隅で作業を眺めている師匠をちらりと見る。
「…………」
無言の師匠。どうやら正解だったらしい。
なぜならこの師匠は間違っていたらすぐ描き直しというから。
その後は幸運な事に詰まることもなく最後まで描き上げられた。
終わりましたと少年は師匠に告げ、描いた字を潰さないように注意して中から出る。
そして入れ代わりに師匠は召喚陣に近づきチェックしていく。
改め終わると師匠は口を開いた。
「間違いはない。だが……おまえ途中で適当に描いた所があるじゃろう?」
やはりバレていた。
「今はワシが見ていたから良かったがな。後で復習しておけよ。
召喚に失敗して真っ先に危機にさらされるのはおまえなんじゃからな」
師匠は弟子の身を案じて言う。
それについては本当に申し訳ないと思いながら少年は頷く。
「よし……では始めなさい。生贄をそこの台に」
召喚陣の中に台が設置されている。ここは儀式の供物を置く場所だ。
召喚対象によって捧げるものは千差万別。
大して知性のない野獣を召喚するなら大量の生肉などで良い。
しかし今回の対象は弱いとはいえ悪魔、生あるものを代償にしなければならない。
大掃除して発見したネズミやゴキブリなどを捧げるわけだ。
生贄を用意して準備万端。あとは召喚の呪文を唱えるだけ。
これも間違えたらやり直しとなるが、口を動かすだけだから召喚陣よりは楽。
とちって数回唱え直しつつ、なんとか呪文の締めまでやってきた少年。
――ケンコウ・クロス・サン・マジ・カミ!
最後の言葉を唱えた瞬間。
ボワッ! と黒い霧が召喚陣の真ん中から噴き出した。
その霧はだんだんと広がっていき、召喚陣の端で止まり上へと昇る。
円柱状に展開した黒い霧に阻まれ、召喚陣の中がどうなっているかは見えない。
この霧が晴れたときにはきっとインプと呼ばれる小悪魔が現れているだろう。
そう少年が考えていると―――。
「ギャーッ! ゴキブリ!? ネズミーッ!」
霧の中から女の子の叫び声が響き渡った。
少年の師匠は国でも屈指の魔法使いである。
本来なら魔法学院で大勢の人から先生と呼ばれる身分なのだ。
そんな師匠が身寄りのない子供を拾って寂れた村のはずれに住んだのは「権力争いとか面倒臭い」という理由から。
もちろん師匠が自分からそんなことを口にしたわけではない。
少年が今よりも幼く一人で留守番もできない頃、ときおり人がやってきては学院に戻って欲しいと頼み込んでいた。
それを疑問に思った少年が何度も訊ねて話してもらったのだ、
しかし完全に縁を断ち切るのも難しかったのか、少年がそれなりに育つと留守番させて街へ出かけることも多くなった。
ある日。
会議に参加すると言って師匠は朝から街へ出かけることになった。
「ではワシは行ってくる。一週間ぐらいで帰るだろうから留守は任せるぞ。
もう調剤を間違えることはないと思うが注意してやること。
それと…あのような姿をしているが、主人と使い魔であるということを忘れぬように」
そう師匠は釘を刺すと迎えの馬車に乗り込んだ。それを見送り少年は家の中へ入る。
「お師匠様行っちゃったねー、ご主人さま」
居間に戻ると実に可愛い(少なくとも少年はそう思う)女の子がカップを片手にくつろいでいた。
最初にこの悪魔を召喚したとき、師弟は共に儀式に失敗したのかと考えた。
なにしろインプといえばねじ曲がった角にコウモリの翼、矢じりのような尻尾と典型的な悪魔の姿をしているものだから。
確かにこの悪魔も角や尻尾はあるが、それ以外は完全に人間の女の子。
こんな姿のインプが召喚されるなど見たことも聞いたこともない。
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