深い深い森の中。
木々が生い茂り、幾重にも葉が重なったそこは、一筋の陽の光さえ入らない陰湿な空気をしていた。その中をガサガサと得体の知れない「何か」が這いずる音がする。
『ギチギチギチギチ・・・』
緑とも黄色とも赤とも例えようのない色をした鎧を纏い、いくつもの節で分かれた夥しい数の足が規則正しく動いている。それだけでも普通の人間なら嫌悪する容姿をしているが、それ以上に目を引くのは頭部と思われる先端のすぐそばにある赤黒い一対の顎肢と、周りの大木と変わらない巨大な体躯だった。
古い時代から怪物と呼ばれ、人々に恐れられている存在「大百足」である。
この大百足、元々この森に住んでいる者ではなかった。遠い地より幾つもの山を越え、谷を越え、この地へやってきた。この森を選んだ然したる目的はなく、依然住んでいた森が冬が近づくにつれ木の実などがなくなり、それを餌とする獣の類がいなくなったからである。「土地を移れば獲物もいるだろう」そんな考えからだった。
どのくらいそうして森の中を這い回っていただろう。風に何かの燃える匂いが紛れているのを一対の触覚で感じ、匂いのする方へ進むと木々の開けた小高い丘に出た。丘から先を見下ろすと藁葺き屋根が並ぶ小さな集落が見える。百足は思った。「これで餌には困らない」と。しかし、すぐに村へは降りていかず、回れ右をして森の中へ戻っていく。明るい内に村へ降りても大きな騒ぎになり、村から人が離れてしまうかもしれない。そうなると長期的に餌を得ることが出来ず、またどことも知れない場所へ這い回る必要が出てくる。
行くなら夜。
それまでは藪の中に隠れるか、手ごろな洞穴でも見つけよう。元々、明るい時間に積極的に活動する種族ではない事もあって、正直、太陽の下で動き回るのはあまり良い気分ではなかった。好都合な事に丘から更に登ったところに岩に亀裂の入った隙間を見つけた。人が入るには難儀するが、平らな体を持つ百足にはちょうど良かった。
夜。
梟や虫の鳴く声。時たま風に揺れる森の木々の音以外は静かな夜。百足はひっそりと自分の巣から這い出た。「カサカサガサガサ」と音を立てながら、夜の闇に紛れ村を目指す。触覚を忙しなく動かしながら気配を探る。どうやら、殆どの村人は床に着いているようだ。これは幸いと一軒の民家の裏手に回り、お目当てのモノを探す。それは仲間同士で体を寄せ合い、丸くなっていた。柵の間から自分の体を中に入れ、毒の滴る顎肢を開く。「ギチギチ」という音を立てながら狙いを定め、一番手前にいる獲物に牙を向く。
『コケェェッッ!!!!コッ!コケェェェ!!!!!!!』
その瞬間、その場は騒然となりバタバタと羽ばたく音や柵にぶつかる音。幾つもの鳥の声が重なり合う。百足は最初に牙を向いた鶏の他に、恐慌状態となり自分にぶつかって来た鶏にも顎肢を突きたてた。とりあえずはこれでいいだろう、あまり長居しては騒ぎに起きた人間が様子を見に来るかもしれない。二羽の獲物を顎に銜え、巣へと戻っていく。巣に戻ると早速、本日の獲物を口にする。一度の食事量は多いが、一度食事をすればしばらくは飲まず食わずでも生きられるため、しばらく狩りに出る必要はない。腹が減るまでは巣の中で大人しく寝ることにした。
その後、二週間から三週間に一度の間隔で村へ狩りに足を運んだ。ある時は最初と同様、鶏を。またある時は子牛を。大百足という種にしては控えめな食欲もあって、村では狐か狢の仕業であろうと噂されていた。
村の青年「小吉」はここ最近の出来事に対して疑問を感じていた。
「村の家畜がいなくなる」
始めの内は他の村人と同様に森の獣が悪さをしているのだろうと考えていた。しかし、二度三度と続く内に違和感を憶えた。
「獣にしては行儀が良過ぎる」
庭先に干してある野菜や畑の芋などには全く手を付けず、いなくなった家畜も一度に多くとも二羽程度。被害には変わりないが、何か「遠慮」のようなものを感じる。
『獣が遠慮・・・?まさかな・・・』
陽も傾き、今日やるべき畑仕事に一段落つけた小吉は手拭いで額の汗を拭いながら一人、自宅へと向かう。
『今、戻った』
暗い土間から返事はない。小吉には家族といえるものはいなかった。母親は小吉が幼い時に、父親は一年前に病で息を引き取った。生きていくためには悲しみにくれる暇もなく、畑を耕し森で狩りをする必要があった。一人で夕餉を取るのも慣れた今となっては、静かな夜も悪くないと思う時さえある。そんな事よりも、ここしばらくの怪異について思いを巡らせる。
『(月に二度ほどの間隔で起こる怪異は、今夜辺りがそれに当てはまるのではないか?)』
得体の知れないものに対する恐怖はあったが、それよりも未知に対する好奇心が勝った。
『そう言えば、鶏小屋の裏手に藁を積んだま
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