いけない個人レッスン

周りを白一色の壁に囲まれた密室。
その壁は普通とかなり違っていて、クッション素材のようなもので全面が覆われていた。
それはこの部屋の中で発生する音を外に漏らさないためのもので、ドアもノブを90度回転させることで固く閉まり、僅かな音漏れもしない作りになっている。
そんな外部から隔絶された空間に存在するのは部屋の隅に置かれた二人がけの椅子と長机。
そして、部屋の中央に陣取る一台のグランドピアノだった。


「な、なんでこんなことになったんだ!?!?!?!?」


長机に向かって椅子に腰掛けていた俺は、今のこの状況にパニックを起こしていた。
目の前にあるのは会議室にあるような足がパイプの安物などではなく、いい具合に年月を感じさせるアイアンと古材で作られたアンティーク調の長机。
そして、その長机の上で恥ずかしそうに頬を紅く染めた一人の女の子。

その子の視線は戸惑いから左右に泳ぎ、たまに俺の視線とかち合うと恥ずかしそうに閉じられてしまう。
瞳は涙で潤み、両手を胸の上で重ね、どこか居心地悪そうにモジモジと身体を動かしていた。

『せ、せんせぇ・・・』

パニックになっている頭とは裏腹に、目の前の女の子の事を見つめてしまっていた俺に声がかかった。
俺の身体はその呼びかけにびくりと反応し、今一度冷静になろうと目を閉じてここまでの今日一日を振り返る。

・・・そう、今日は週四で入れてるピアノ講師のアルバイトの日。
都内の音大に通いながら実益や勉強も兼ねて始めたこのアルバイトも二年目に突入し、今日はある事情から特別に訪問レッスンを組んでいる生徒の自宅でレッスンをしていたんだ。
その子は中学校に上がったのをきっかけにピアノを始めたばかりの女の子で、名前はあおいちゃんといった。
大百足という種族の魔物娘であるあおいちゃんは、お腹から下が文字通りムカデの姿をしていた。
しかし、ムカデの体は同年代の子どもには刺激が強すぎるらしく、怖がったり泣いたりする子もいたらしい。
それでピアノ教室でのレッスンではなく、訪問レッスンをお願いされているのだ。




『先生・・私、この部分がうまく弾けないんです。。。何かコツとかないですか?』

さっきまでぎこちないながらも一生懸命にピアノを弾いていたあおいちゃんの指が楽譜のある記号を指差す。
そこは曲が盛り上がる少し前、おたまじゃくしが並ぶ5本の線の上の方にクレッシェンドのマークがあった。

『ここかぁ・・・あおいちゃん、クレッシェンドは分かる?』
楽譜を手に取り「うーん」と考えをまとめながら、俺はあおいちゃんに質問を投げかける。

『だんだん、・・・強く?』
俺の質問に少し考えてから、あおいちゃんは自信なさ気にそう答えた。
『うん、正解。よくできました』
俺の顔色を伺うように見上げるあおいちゃんを安心させるように、笑ってそう答える。
正しく答えられたことが嬉しいのか、あおいちゃんはとても嬉しそうに顔を綻ばせて小さな声で「やった」と呟いた。

『でも、その「だんだん」って言うのが分からなくなっちゃって・・・』
だが、すぐに表情を曇らせると楽譜に目線を向けながら頭を悩ませる記号を指で突いた。
俺もそんなあおいちゃんの言葉に、「ああ、それすごく分かる」と頭の中で力強く頷いて同意する。
小学校でも習うことだが、音楽には「だんだん」や「すこし」など感覚的な表現の記号が非常に多い。
普段はあまり気にならないことも、何かのきっかけで躓いてしまうとその部分が頭にこびり付いて全体の演奏が崩れてしまう。
あおいちゃんは今、まさにその真っ只中なんだろう。

『そうだ!ねぇ、先生・・・』
さて、どう説明したものかと腕を組んで考えをまとめていた俺にあおいちゃんが声をかけてきた。
そして、あおいちゃんの方へ向き直った俺に予想外な言葉が飛んでくる。

『私の手の平を鍵盤だと思って、ピアノを弾くみたいにしてもらえませんか?』
両手の平を俺に向け、目を輝かせているあおいちゃん。

『あおいちゃんの手に?』

『い、いやならいいんです・・・』
しかし、俺の反応があまり良くないことに気付くと、その手を下げ、さらには目線まで下に落としてしまう。
どうやら悪い印象を与えてしまったらしく、頭の触覚も元気なさ気にうな垂れていた。

『ああ、違う違う!嫌なんじゃなくて、ちょっと予想外だったからびっくりしただけ。・・・気にさせちゃってごめんね?』
俺の配慮のなさであおいちゃんを傷つけてしまったのが申し訳なくて、謝罪して真意を伝える。
おそらく、自分の体の事を必要以上に気にしているのだろう。

『本当・・・ですか?』

『もちろん!むしろ、あおいちゃんは平気なの?』
レッスンとは言え、この年頃の女の子は異性に体を触られるのに対して嫌悪感を抱くのではないだろうか。

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