百足は自分の変化に驚いていた。
確かにこれまでも目の前の男を含め、人を襲って喰おうと思ったことはなかった。
しかし、これはそれとも違う。
親友のためとは言え、人ではない自分の巣穴を探す手伝いをしてくれた上に、食べた事もない美味い食事を喰わせてくれた。
家族のような者を失い、本来であれば悲しみにくれていても可笑しくない筈なのに、元凶でもある自分の事を気に掛けてくれる。
心配そうに覗き込んだり、返事もしない自分に何度も声を掛けてくれた。
そして、自分の名を教えてくれ・・・私にも「名」をつけてくれた。
『・・・・』
分からない。
この感覚は一体何なのか。
確かなのは、生まれて何百年という時間の中で初めて感じていると言うことだけ。
『・・・・・・』
訳も分からないまま、ここを去ろうとする男の服を掴んでいた。
男は少し赤みの差した、困った顔をしている。
『・・・・・・』
男は意を決した顔になり、再び私の隣に腰を下ろす。
そしてこの体に腕を回し、離れられないように密着してくる。
『・・・』
ああ、満たされる。
「満たされる」とは何だ?
こうしたところで腹が満たされる訳もないのに、何故か体の奥から全てが満たされる。
「好きだ」
男が言った言葉。
「好き」とは何だ?
『・・』
試しに自分も口にしてみる。
声には出ずとも口を動かし、言葉をなぞる。
『・・』
今まで以上に体が、心が満たされていく。
そうか、私はこの男が「好き」なのか。
そう思うと次から次にこの言葉が溢れてくる。
『・・、・・、・・っ、・・!』
何度口にしても言い足りず、何度でも口にしたい。
「好き」。「好き」なんだ。私は、この男が「好き」なんだ!
伝えたい、この「好き」を。
私も「小吉が好きだ」と伝えたい!
しかし、それが声になる事はなく、ただ口がパクパクと動くだけ。
焦るムカデを他所に、小吉の体も微かだが震え始めた。
「寒いのか?小吉は今、寒いのか?なら温めてやりたい。今、こうして私が温めてもらったように。小吉を温めてやりたい。」
そう思うと、百足の両腕がゆっくりと動き、小吉の背に回る。
力を入れすぎて壊れてしまわないように、大事に大事に力を入れる。
「これなら寒くないか?温かくなった?」
そんな百足の思いに答えるように、小吉は「ありがとう」と答えた。
触覚が揺れるのを止められない。
口角が上がるのを止められない。
両目が閉じるのを止められない。
しばらくそうやって小吉の体温、匂い、息づかいを感じていた百足だったが、小吉がゆっくりと動き出し体を離す。
体が離れたことで体温を感じることが出来なくなったが、なぜか言いようのないモノが体を侵していた。
小吉が私の顔を見ている。
顔に血が集まり、赤くなっていくのが分かる。
下を向きたいが、出来ない。
目を、離したくない。
顔が、小吉の顔が近付いてきた。
これが一体何を予兆しているのか、私には分からない。
でも、体が動かない。いや、動くことを拒絶している。
自然と両目が閉じていく。
嫌だ。
閉じたくない。
小吉の顔を見ていたい。
そんな願いを無視して、両目は完全に閉じてしまう。
次いで触れる自分以外の感触。
先ほどまで猪肉を食べていた口に、何かが触れた。
何だ、これは?
柔らかくて、温かい。
それがゆっくりと離れていき、一緒に小吉も体を離していくのが分かった。
恐る恐る目を開けると、顔を赤くした小吉が「お主の唇はこんなにも柔らかいのだな」と照れくさそうに言った。
「唇」とは口の外側についている上下の肉のことだと言うのは分かっていた。
百足の時にはなかったモノだが、この体に変質した時に新たに出来た。
「お主「の」唇?」
お主とは私のこと。大百足の私のことだ。
では、私ではない唇とは誰のことだ?
ここにいるのは私と、小吉だけ。
私と、「小吉」だけ?
では先ほど触れたのは、「小吉の唇」?
それ分かると、今まで以上に体が熱くなるのが分かった。
顔だけに留まらず、首元や胸の辺りまで赤くなってしまい、とてもじゃないが小吉の顔を見ていられず下を向く。
体の一部が触れただけなのに、なぜこうもなってしまうのか。
頭の触覚さえも乱れ、ぶつかり合う痛みで少しずつ平静を取り戻す。
そう言えば、先ほどから「お主、お主」と全く名前を呼ばれない。
折角、名をつけてもらったというのにこれでは今までと同じではないか。
そう思った私は顔を上げ、先ほどつけてもらった名を口にする。
『・・・』
しかしと言うか、やはりと言うか声にはならず、口がパクパクと動くだけ。
それでも小吉は私が何か言いたいという意思を受け、何とか理解しようと真剣な顔で見てくる。
だが、すぐに「すまん」と
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