出発前夜

ああ、なんて憂鬱なんだろう。

明日から始まる2泊3日の修学旅行、その準備を自室でしていて俺は、同学年の奴らとは比べものにならない程に、落ち込んでいた。
どうして楽しいイベントの前のはずなのにここまでブルーな気分にならなきゃいけないのか?
それには理由がある、たった一つの簡単な理由が。
捨て子だった俺を拾い育ててくれた養母であり、剣の師匠であり、彼女でもある巴さんの存在だ。

一緒に行けば何の問題もないな、だと?
学校行事をぶち壊してどうする、聖域なき構造改革にも程があるわ。

その分、同学年で結ばれた奴らは幸せだ。
宿泊先の部屋は優先的に割り当てられ、部屋内での行動は自由。

結ばれてない奴らもその次ぐらいに幸せだ。
女子勢の願いにより結ばれていない男子と相部屋、もちろん部屋内での行動は自由。

残った結ばれてはいるけど相手が学外者の奴らは地獄だ。
一緒に居たくもない男女同士で相部屋、これを修羅場と呼ばずして何と呼ぶ。

そんな地獄のような3日間を去年はどうやってやり過ごしたか?
実に簡単、行かなければ良い。
その代わり、地元のやくざと教団との争いに巻き込まれて真剣で斬り合う羽目になったけど。
そっちの方がましと思える俺の価値観って一体何なんだろう?

教師監修、生徒製作の『修学旅行のしおり』をもとに一通りの荷物を詰め終えると剣の修練の為に自宅に併設されている道場へと向かった。



11月下旬、夜間にもなると板間の道場は素足で乗り込むとしもやけが出来るくらいに寒い。
既に電気がついてるという事は巴さんが居るはずなんだけど…居た。

道場の隅にある巨大なハロゲンヒータの前で上半身を胴着に着替え身体をガタガタ言わせている白蛇が。

それが普段の様子とかけ離れあんまりに微笑ましかったので、床に手を当てて冷やし、背後から気づかれないようにゆっくりと近づいて、冷え切った両手で彼女の頬を挟む。

「ひゃあ!」

寒さの追い打ちを食らった彼女は一度大きく身を震わせると、勢いよく俺の方へと振り返る。
その途中で彼女の長い尻尾がハロゲンヒータをなぎ倒し停止させてしまったが大丈夫だろうか?
いや、…大丈夫ではなかったようだ。
その証拠に巴さんは不意打ちを仕掛けたのが俺だと分かると、まず最初にハロゲンヒータを立て直し、スイッチを入れて正常に動作するのを確認してから、俺に背を向けたまま話し始める。

「龍、お姉ちゃんは言ったはずです。それはもう龍の耳にタコができるくらい、私の口が酸っぱくなる程に、そのおかげで龍の耳にできたタコが酢蛸になるまで言ったはずです、私は寒いのが苦手だと。」

まずいな、巴さんを不機嫌にさせてしまったようだ。
厳しくなるであろう今日の修練に対する覚悟を決める。

「まずは運足、それから素振り、後は一通り型をなぞって身体が温まったらもう一度声を掛けなさい。」
「師匠は?」
道場にいる時だけ、巴さんの呼び方は師匠へと変化する。
いつも通りの呼び方をして何度酷い目に遭った事か。
「私はその間ここで暖まってます、準備運動なんかしなくてもまだまだ龍には負けません。」
「…はい。」

何かこう、釈然としない気持ちを抱えながらも俺は与えられたメニューをこなしていく。
しょうがないだろ、逆らっても勝てる相手じゃないんだから。
毎日筋トレをしてる、それでも押し負ける。
言われた以上に技の練習もする、それでも一本も取れない。
魔物と人間との差は到底努力でどうにかなる話ではなさそうだ。

だけど俺は諦める訳にはいかないんだ。
もう二度と、あの日みたいに巴さんに辛い思いをさせたくないから。

「師匠、お願いします。」
そしてまた今日も、悪夢のような修練が始まる。

道場の中央に視線をぶつけ合い、相対し、構える。
この肌に刺さるような緊張感のある空気が俺は好きだ、ひょっとしたら前世は武士か何かだったのかも知れない。
俺の得物は竹刀、
半身になり、切っ先を相手の喉に向けて構える。
対する師匠は薙刀、
蛇身のまま、中段に構える。

剣術を習い始めた最初の頃は、わざわざ人型に化けてまで丁寧に教えてくれた。
一通り型を覚えて動きが様になってくると今度は、そのままの姿で相手をしてくれるようになった。
「やっぱり本来の姿の方が戦いやすいですから。」
その時の師匠が何処か悲しげだったのを俺は未だに覚えている。

一歩差し込む、
その一動で道場は戦場へと変化する。
蛇の身体は武道において反則的な強さを誇る。
普段から這って移動する彼女達は人間が常にすり足で移動してるような物、修練に当てる時間の差はそのまま技量の差となって現れる。
移動距離は人間のそれより長く、
足捌きとは関係なく移動する上体は的を絞らせず、
長い身体を存分に使った攻撃はリーチ、破壊力共に恐怖に値す
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4]
[7]TOP [9]目次
[0]投票 [*]感想[#]メール登録
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33