新月の君

正直めちゃくちゃ怖い。家に上げてよかったのかとか、勝手知ったるといわんばかりに台所から包丁を取り出してリンゴの皮を剥いてくれてるけどそのまま刺したりしてこないかとか。
それに、ドッペルゲンガーって……その姿を見た人は三日で命を落とすとかよく言われる類のやつでは? そんな存在なり都市伝説なりを信じてはいないけど、じゃあ彼女はいったいなんなんだって話にもなるわけで。

そんなふうにリビングで悶々としながら、台所でいろいろしている彼女の様子を扉越しに窺うくらいしかできることがない。
時折機嫌よさそうに口ずさんでる歌なんかは俺がよく聞くアーティストのやつだし、声もよくよく聞いてみれば電話口でちょっと丁寧な声出してる時の俺のものを百倍くらい可愛くした感じに聞こえなくもない。

「あー! ダメでしょ横になっててって言ったのに! リンゴ食べさせてあげないよ?」

戻ってきての言葉がこれである。むしろ食べさせる気だったってとこにびっくりしてるわ。敬語で話すのはやめてって言われたけどなんというか、それ以上にとても距離感がおかしい気がする。

「いや、自分で食べるからいいよ……剥いてくれてありがとう」

「そっかあ……」

たしかに体調は良くないが、まったく動けないかと言われたら違う。
が、なんとも悲しそうな顔をするんじゃないよ。どうやら本当は食べさせたかったらしい。

「というよりもそんなに世話をしてもらったりする心当たりが全くないんだが……はじめからちゃんと話が聞きたい。そのうえで対応を決めさせてくれ」

「そ、そうだよね。えっと、えっとね……まず、ドッペルゲンガーっていうのは、男の人のモヤモヤした気持ちから生まれる自然現象みたいなものなの」

「モヤモヤした気持ちって?」

気軽に手を挙げて質問してみる。

「その、ぇ……っちな、とか」

「……ごめん、聞かなかったことにする」

もじもじしながら言ってくるのがめちゃくちゃ可愛くてちょっとヤバかった。

「と、とりあえず! そういうシンヤの気持ちから生まれたのがボクなの! 本当はその男性にとって理想の女性の記憶や姿を再現して、アタックをしかけちゃおう! っていう存在なんだけれど……」

「……それは、つまり」

「うん……ボク、シンヤになっちゃった。いや、わかるよ? すーっごくわかる! だって可愛いもんね、シンヤ……ちゃん?」

「それには同意する。けど、一つ聞いていいか?」

「なあに?」

どう見ても『彼女』にしか見えない目の前の人物だが、俺を模したというのなら……

「ついてるの?」

例のアレ。男の象徴的なもの。

「ついて……って! ばか!!! ついてないよ!!!!!」

真っ赤になって否定されてしまった。というか物凄いセクハラみたいなことを言ってしまったと自分でも口に出してから気づいた。そりゃ赤くもなる。

「あくまでボクはシンヤにとっての『理想の女性』だからね?」

なるほど、どうりで髪が黒いわけだ。『満月の君』と呼ばれるオリジナルをすら超えて俺の理想そのものと言ってもいいくらいだ。

「いや、本当に失礼した! ボクとか言ってるし、可愛さ増しではあるけど俺みたいな男の声に聞こえなくもないような感じだったからつい」

「んー、シンヤも頑張ればこれくらい出せるよ? ここに関しては理想補正ナシ、ノータッチだもん」

「マジか。俺っていう人間の可能性を見た気がする」

「えへへ。頑張ってね」

え、期待されてもそれはそれでちょっと困るけどな。いつ誰に披露するんだって話。
しかしボク……ボクっ娘かあ。正直あんまり趣味じゃないんだよな。彼女曰くの理想補正はどこいったんだ。

「しかし、そうやって男にアタックするのは良いとしても一体なんのメリットがあるんだ?」

男目線に立ってみたら本気で都合のいい女みたいな感じがするからちょっと複雑な気持ちになるんだが。

「メリット……というか、そうできてる、っていうのかな? そうしないと、生きられないんだよ。好きなひとの、体液……とかを摂取しなきゃ生きていけないの」

「それはなんというかまあ……難儀な性分だな。それで、俺のところに来たってことでいいのか?」

もういい加減わかってきた。体液が何であるかとかは問うまい。多分、きっと、いやかなりの高確率でアレだ。

「そういう気持ちが一ミリもないと言えば全くの嘘になるけれど……シンヤが体調崩しちゃったの、ボクのせいかな―? って思っちゃって。看病しなきゃ! とか代わりに授業出てみようかな? なんて。ちょっと授業にも興味あったしね」

「お前のせい、ってどういうことだ――ハッ! まさか本当に三日後に死んじゃいますとか言わんだろうな!?」

「こんな事めったにないからボクもよくわからなくって……あ、死にはしな
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