「……ごめんなさい」
緊張のあまり、声が裏返ったりしていなかっただろうか。
「そんなぁー! なら、せめてお友達からでも!」
周りの反応を見る限り、そんなことはなさそうで安心する。
――初めて見た時からずっと気になっていました。君のことが好きです。
そう言ってくれた人の事を、わたしはよく知っていた。そしてだからこそ、軽率に返事はできなかった。
これ以上は何も言うまいと、逃げるようにその場を去る。昼前時の大学生でごった返す人ごみに混ざってしまえば、それは案外簡単だった。
『彼の評判を悪くしてしまったかもしれない』
『返答はこれで正しかったのか?』
移動しながら、そんな心配ばかりがわたしの頭の中でぐるぐると回っていた。
**********
……頭がぐるぐるする。
ともすれば、自分という人間の境界すらあやふやになるかのような気分。昨日は体調を崩して寝込んでいたが、まだ本調子じゃないらしい。
いや、それも原因ではあるかもしれないが、目の前では耳タコレベルで繰り返された幾度目かの『愛とはなんたら、恋とはうんたら〜』といったとりとめのない話が延々と友人の口から次々に滑り出しているのだ。付き合わされるこっちの身にも――――……
「――ンヤ、おい、真夜!」
自分を呼ぶ声でハッと我に返る。どうやら話半分に友人の言葉を聞き流していたのがバレたらしい。
「おう。終わったか? 誠人」
時間にして昼時、大学の学食で買った安いカレーを頬張りながら目の前を見る。黙々と食べていた俺の方に対し、ぺちゃくちゃと俺の方に向かってずっと話しかけていたらしい友人の皿のカレーは全然減っていなかった。
「何が『終わったか?』だこの野郎! ちっとは俺の話を真面目に聞いてくれたって良いだろうがよお!?」
「あーうっせーうっせー。病み上がりの頭に響くから落ち着いてくれ」
「お前が頻繁に『ワリ。体調崩したから講義休むわ』とかケロッとした雰囲気で言ってくる奴じゃなかったらもう少し心配もしたんだがな。誰のせいで興奮してると思ってんだ全く」
どうやらイソップ物語レベルにまで俺の信頼は落ちていたようだ。まあ、頻度が頻度なだけに無理もないか。なんせ月に一回くらいはそう言ってるし。
でも昨日は熱にうなされすぎてなんだか逆にムラムラして眠れなかったのもあってかなり辛かった。人間、生命の危機を感じるとやはり繁殖のための本能が高まってしまうのかもしれない。
「いや今回のはマジの重症だったんだよ。ったく……わかったわかった、ちゃんと聞くから勘弁してくれ。ま、どうせまた『満月の君』の話だろ?」
コイツは屋部誠人(ヤベマサト)。なんとなく同じサークルに入ってから、同じ学部だと知りなんとなくつるみ始め、結局サークルはすぐに辞めてしまったがお互いそのままの関係で1年と少しが経っていた。気のいいやつで、こっちが聞いてもいないのにやれどこの学部の女の子が美人だっただのお胸が豊満だのといった話をしてくる。
そんな誠人が現在ご執心なのが通称『満月の君』。呼び始めたのは誠人ではなく、おそらくは漫画研究会辺りの人間だろうけれどもその呼び名が一部では定着してしまっているようだ。その一部というのが、昨日俺が体調を崩して休んだあの講義を受けている他の友人たちの間である。
曰く、かなりの高身長。
曰く、とても無口。声を聴いた人は今のところいないらしい。
曰く、胸はあまりないようだが、シュッと引き締まった良いスタイル。
曰く、長めの金髪を丸くまとめた、所謂シニヨンヘア。
そして曰く、ほかの講義での目撃情報はない。またかなりの気分屋で、月に一度くらいのペースでしか出席してこない。在学生ではないのでは? とのうわさもある。
「しかしお前もよく女の子の話のネタが尽きないな。頼んでもないのに次々とさ。もしかして俺の恋愛でも応援してくれてんの?」
誠人に聞けばもしかしたら俺に対する女の子からの好感度なんかも教えてくれるかもしれない。それくらい、いかにも恋愛ゲームで重宝しそうなやつなのだ。が、実際のところこういう手合いは何を思ってライバルを増やす真似をするのかさっぱりわからん。
「バッカお前、ちげーよ! お前のためじゃねーの! 俺が狙ってんの! 間違っても『ボクが先に好きだったのに〜!』とか言わせないために周りにツバつけてんの! カーーーぺっぺっっ!!」
「オイやめろてめっ、ツバつけんのは攻略対象だけにしとけ! 日本語間違ってんぞ!」
大声で誠人がまくしたてれば、なるほどと思わないでもない。だが本当に勘弁してほしいのは俺にまでそのツバがかかってきていることだ。文字通りでありながら……二重の意味で、だ。
**********
魔が差した、といえば本当にそれでおしまいだとは思う。
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