ここまでを思い返したところで、火にかけていたお湯はふつふつと泡立ち、もうもうとした熱気を辺りに振り撒き始める。
子供の頃にお茶の淹れ方は爺ちゃんから教わっていたのでここからは流れ作業だ。……といってもどの道勝手に手は動いているのだが。
「どうしてこんなことになったんだろうな…………」
俺の呟きの答えを知るには、もう少しだけさっきの続きを思い出していかなければならない――――。
******
目の前の女から放たれた『命令』に、俺は立ちすくむ。
「む、どうした? さっさと動かぬか」
俺を見て苛立ったように女は言った。
だが、俺が動けないのには理由がある。
「帰せ、っていっても……どこへ? そうしてやりたいのは山々だが……って何が山々だ、ホイホイ従ってんじゃねぇよ俺……! ああくそ、とにかく何もわからないんだ、俺は動きようがない」
俺の言葉を聞くと、女はますます綺麗で細長い眉をつり上げた。
「貴様はどこまでも使えぬ下僕じゃな…………! 一度しか言わぬぞ? いいか、妾は………………」
「………………」
続く言葉を俺は無言で待ち続けるが、女の口は中途半端に開いたままだ。
「……どうした?」
「妾、は…………何処の、誰じゃ…………?」
「………………、は?」
「どういうことじゃ、これは…………! 余りにも永い間、眠りに就いておったせいか……? 永い間? 妾はいつから眠っておった? どうして……そうじゃ、妾の国は!? 何がどうなっている!?」
半ば狂乱したように喚きたて始めた女に俺は慌てる。
「お……落ち着けって、おい!」
留める俺の声など全く届いてないのか、自棄とも見えるほどに手足を振り乱しす女。
「くっ、こうなりゃ…………悪い!」
庭に飛び出して鹿威しの水を手の器に掬って、俺は謝りながら女にその水をふっかけた。
畳が水で濡れるが、この際気にしないことにする。
「ひぁうっ!? あ…………」
「……頭は冷えたか?」
「…………みっともないところを見せた」
ばつが悪そうに、目を伏せて女は言う。
「どうやら妾は……記憶を失っているようじゃ。間抜けなものであるよ、自分の名前すら思い出せぬ……」
「さっきはファラオだとか王だとか言ってたじゃないか、どういうことだよ?」
俺は当然の疑問をぶつける。
この女が悪いわけではないのだが、矛盾しているようなその言葉は気になるのだ。
「ならば貴様は、自分が記憶を失ったときに『自分は人間ですか?』とでも訊くか? 訊かぬじゃろう? 同じことじゃ。妾はファラオ、ピラミッドの王。それは妾の本能ままの姿であると妾は思うのじゃ…………ふっ、くちゅんっ!」
何やらご高説を宣っていたようだが、可愛いくしゃみの音でそれも止まる。
「…………悪い、水冷たかったろ? タオルと温かいお茶淹れてきてやるから待っててくれ」
俺はお湯を沸かし、お茶を淹れ、乾いたタオルとともにできるだけ急いで女の元へと戻った。
「ほら、これで髪拭いて、茶でも飲めば落ち着くだろ」
髪を拭き終えた女がお茶を一口。
その一挙一動が気品を感じさせ、ゆっくりと喉が上下するところまで俺は半ば見とれていた。
「ん、…………これは中々、美味いの」
口をつけると案外素直な感想を女は漏らす。
「どういたしまして。それで、落ち着いたか?」
「うむ、不思議な飲み物じゃ。気に入った。『これから毎朝、これを妾に作って寄越せ』」
またその口から『命令』が放たれる。
「わかった。…………っておい! なんだお前、ここに住むつもりか!?」
いい加減、無条件での承諾には慣れてきたが、問題はもう1つのことだ。
「何を当たり前のことを。国に帰れるまではここが妾の居場所じゃ。……それと『お前』とは何じゃこの下僕が。王に対して失礼であろう、『妾を呼ぶ時は「様」を付けよ』」
「くぉ、コイツ……様。いやコイツ様ってなんだよ。様を付けるにしても、名前がわからないんじゃどうしようもないだろ?」
俺の言葉に、ふむ、といったように顎に手を当てて考え込む女。
手には綺麗な黄金色の腕輪が嵌まっていた。ふと注視してみると、何か彫られているのがわかる。
「『Raksha Arena』……?」
何気なく目に入ったその字を読むと、女は目を見開いた。
「…………! それ、は……妾の名は、それのような気がする」
「『ラクシャ・アリーナ』……か?」
「…………うむ、間違いない。妾はラクシャ・アリーナだった筈じゃ」
『たぶん絶対そうだ』という意味不明なことを実は言っていることには気づかずに、女……ラクシャは胸を張った。
「なら、決定だな。お前
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