部屋の外から、一つの足音が響く。金属や硬革ではない柔らかい靴底の音だ。
靴音は扉のすぐ向こうまで迫り、今最も出会いたくない存在が部屋へと入ってきた。
「やあアルディエイド君、気分はどうかな」
今にも引きちぎれそうなほどみちみちに中身の詰まった高級な教団の制服に、高い地位の
人間しか被ることを許されない白に金色のラインが入った神官帽。表情はまるで僕を心配
しているかのような物憂げな顔だが、声色は明らかに笑いを堪えている。
ボルソン・ヴィル・エーレ・ラウデリウム。この町の教会の大司教の息子で、僕のこと
を蛇蝎の如く嫌う一人だ。
「……これはラウデリウム様、貴方自らこのような場所まで赴かれるとは」
内心の嫌悪を何とか押し殺し、意識して平坦な声になるよう努めた。いくら嫌いでもいく
ら僕より年下でも、僕よりもずっと高い地位の人間である。表だって不敬を働けばどうな
るか分かったものではない。言葉だけでも、上役を敬う姿勢を示さなければ。
とはいえこの町を去る時には、文句の一つも言い捨ててやりたい所だ。
僕の態度が気に入らなかったのか、ボルソンは不快そうに鼻を鳴らしてベッドに座る僕
を見下ろした。
「いやあ私は残念だよ。君のような、正義感の強い、前途有望な若者がこのような扱いを
受けるとは」
正義感の強い、のあたりをやけに強調して喋るボルソン。思わず鼻で笑いそうになった。
よく言うものだ。僕が教会の書類仕事を押し付けられた時、教団のお偉いさんたちによ
る予算周りの不正を見つけ証拠まで揃えて提出した事を、未だに根に持っている癖に。
それまでなあなあでやり過ごしていた事を公にして、一番ダメージを受けたのはラウデ
リウム家だ。それ以来、僕は彼らの一派に強く憎まれている。とはいえ今までは実害の出
るような報復は無く、たちの悪い普通の嫌がらせばかりだったが。
僕が何も言わなかったことで気をよくしたのか、ボルソンは得意げな顔で腕を組んだ。
「しかしいくら善良な人間とはいえ、魔物と取引を行ったというのであれば容赦する訳に
は」
「僕は魔物との関係なんて持っておりません」
焦って否定しようとして、返事が早くなりすぎた。冷や汗が背中を一滴滑り落ちたが、ボ
ルソンは意外そうな顔で一瞬目を見開いただけだった。
「ま、それを調べるのは私の役目ではない。……そういえばなあ」
にやにや笑いを崩さずこちらへ視線を向けたまま、突然話題を変えるボルソン。
「明後日辺りに、教団本部からの使者が訪問する予定になっている。その内の一人が面白
い魔法を使うことが出来るそうだ。……アルディエイド君、何だか分かるかね?」
「……さあ、僕には何も」
「そうかそうか。それがなあ、なんと」
そこで区切って、ボルソンはまるで僕をじらすように笑顔で言葉を止めた。その勿体ぶっ
た素振りが、非常に鬱陶しい。
「人の心を読む魔法だそうだ。それを展開して対象の人間の頭に触れば、その人間の記憶
が全て手に取るように分かるらしいぞ」
僕は黙ったまま、その言葉を反芻する。
簡単な話だ。そいつが来れば、僕は死ぬ。
その事に関しては、不思議と動揺一つなかった。ただそうかと思ったきりだ。
「今回その方にお願いして、特別に拘留中の容疑者にその魔法を使って貰えることになっ
た。よかったなあアルディエイド君」
その瞬間今までの化けの皮を剥がし、悪意に満ちた醜悪な豚の笑顔に変わるボルソン。
「今回の件が無実でも、お前の弱味を握れる。内容次第だが、どうしてやろうか? そし
て……もし本当に魔物との取引を行っていれば」
火炙りは、さぞ苦しいだろうなあ?
満面の笑顔でそう言い残して、ボルソンは部屋を去っていった。
扉の閉まる音と共に、緊張の糸が切れてベッドの上に仰向けに倒れた。
あとはもう、蟻の皆に祈るだけだ。
: :
ボルソンに実質の死刑宣告を受けてから二日。運が悪ければ最後になるかもしれない夜
は、あっさりと過ぎ去っていった。目を覚まして天井を見上げると、小さな窓から青い空
が見える。
蟻の皆は今頃どうしているだろうか。僕を助ける為奮闘しているのか、それとも僕を助
けるのは諦めて自らの巣へと撤収しただろうか。前者ならば嬉しいが、後者でも文句は言
うまい。
窓の向こうを眺めてぼんやりしていると、担当の人間によって朝食が運ばれてきた。昨
日の夜と同じ、黴の生えかけた堅パンとごく少量の具が入った薄いスープだ。パンをスー
プに漬け、ふやかしてから口へ運んでいく。
意外なことに、これが結構美味しい。というか、生の芋を必死にかじっていたことと比
べれば人の食事のていを成しているだけで何でも美味しく感じられる。
もし蟻たちに無事助けて貰えたら、まず最初に食事の事情を改善しよう。僕はあんまり
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