遠ざかる彼に手を伸ばした。
いや、遠ざかっていたのはこちらか。
そもそも隣り合っていたことこそが間違いだったのか。
ならば、何故。
いずれ離れる運命ならば、何故。どうして。
神は何故そのように無慈悲な真似を――
「――っ!!」
絶叫の一歩手前で、私は目を覚ました。
指は寝具を掻き毟り、足先もこむら返りを起こしたように反る。
引き攣った喉が呼吸を求めて噎せるまで、十数秒はそうしていたと思う。
そして不意に全身の筋肉が弛緩した途端、空気と途方も無い疲労がのしかかってきた。
しばらく獣じみた息遣いが続き、焦点すらも定まらない。
更に数十秒を経て、私――「レスカティエ教国」聖騎士団――ウィルマリナ・ノースクリムは、王城に宛がわれている自室のベッドで毛布に包まって震えている自分を発見した。
「っは、はぁ、はぁ、はぁ……ゆめ、なの?」
喘ぎ喘ぎ、確かめるように呟く。
そう理解してからも震えは止まない。
とても嫌な夢を見ていた、とまでは覚えている。
しかし、それがどのような夢だったか思い出せない。
喩えるなら、『悪夢』という一種の思い出自体を横合いから喰い千切られたかのような喪失感。
「夢なの、かしら……」
思考が形を成す前に、半身が起き上がる。
自分は何をしているのか。
自分は何をしていたのか。
心拍数の上昇に合わせて、眠りに落ちる前――即ち意識を失う直前の光景が、桶を水滴で満たす様にゆっくりと、浮かび上がってくる。
その遅さに私は苛立つ。
「……私は」
顔に当てた掌を、爪痕が出来るほど強く握りしめて、記憶を掘り起こしてゆく。
確か、市街地の巡回に出ていた。メンバーは騎士団の精鋭四、五人だったか。
その日、目だった異変はなかった気がする。せいぜい、路地裏で酔って暴れていたのが軍の一兵だったことに腹を立てたくらいか。
夜半過ぎに城に戻り解散してから、城内に宛がわれている自室へと戻る道程。
部屋に繋がる、最後の回廊の直線。
――その姿は、曖昧にしか思い出せない。白い翼、白い尾、そして全身に赤い――
「うぐぅっ……!!」
頭に鋭い痛みが走る。火矢にも似た閃光が脳裏で弾けた。
迸る魔力、身を焦がす業火、空を切る剣、遮られる詠唱、床を舐める屈辱と恐怖、自分を見下す者の美しい顔――
それが切っ掛けとなり、記憶がその輪郭を浮かび上がらせてくる。
「私は、負けた……?」
最後にどのような手管を使われたのかは、はっきりと覚えていない。強大過ぎる魔術の一端を見せつけられたのかもしれないし、或いはそれにも及ばないと判断され体術で叩き伏せられたのかもしれない。
しかしどの道、未だ残る震えと、精神に根を張っている敗北感は、自分が打倒されたという事実を如実に物語っていた。
『教国の光』は魔物に敗北した。
勇者ウィルマリナは一匹の淫魔に屈した。
かつて自分を称えてくれた人々の声が、今は呪いの様に重い。
「何が、勇者ウィルマリナだ……何が救世主だ……あれだけ無様に倒されて、私は……」
ギリギリと歯を食い縛るが、しかし同時に覚醒してからこの方、何かを忘れているような心地がしてならなかった。
忘却に包まれた焦りの正体は暫くの間明らかにならず、ただ泡のように膨らんで胸を押し潰す。
(なんだ……何かおかしい……)
(何かを忘れている……何を――――)
突然、記憶の空白が閃光に消し飛ばされる。おかげで白痴のような刹那が生じた。
意識が戻るのと、ベッドから飛び出したのは、果たしてどちらが先だったか。
次の瞬間には枕元に置いてある剣を掴み、扉へと駆け寄っていた。
「おかしい……なんなの、これはっ!!」
自分は城内で魔物と出会い、倒された。
ならばその魔物は、自分を打倒した後、どうしたのか?
騒ぎに気付き、駆け付けた増援によって追い払われたのか?
そして気絶した私は手当てを受け、自室で休まされていたのか?
否。
それならば今自分が着ているのは休息着の筈だ。勇者の衣に戦闘用のブーツ、御丁寧にマントまで身に着けさせたまま、寝台に放る訳が無い。
更に、もし城内の者が淫魔を退治したというのなら。
(今も身を刺すようなこの妖気は、どう説明するのか……迂闊な――っ!)
安穏と眠っていた自分を責める心もあった。
しかしそれどころではない。
そのまま突き破らんばかりにドアにぶつかり、ノブを引き抜いた瞬間、
「――っ?!」
待ちわびていたように、顔面へ飛んできた『何か』。
正体を判別する間も無く身を捩らせると、かの物体は頬を抉るか否かというところで顔を掠め――後方の壁に激突した。
(黒い火球……攻撃魔法?!)
部屋に四散した魔力がびりびりと皮膚を舐める。直接炎で焦がされるような熱が襲っ
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