地平線の淵が明るみ、霧がたつ。
霧が濃くなり、雫となる。
雫は、岩を濡らし草に汗を掻かせた。
やがて景色が開ける。
山々が遠く幾重にも連なり、霞んで融けてゆく。
夕焼けに影が長く引いた。夜になるとそれも、景色に融けていった。
澄んだ空気があった。
尻に岩の冷たい感触があった。少女と出会った、岩の上であった。
長い間、そうしていた。少女を求めるうちに、ここに居た。
空腹に腹が鳴り、寒気に体が震えても、じっと、座っていた。
座っているだけであった。脳裏にあるのは少女のことであったが、自分が何を求めているのか、分からなかった。
少女は戻るだろうか。戻らないだろうか。そんなことは考えなかった。
少女の声。少女の軆。ぬくもり。優しさ。時折見せる寂しげな表情。少女と暮らした、長いようで短い、短いようで長かった日々。二人で過ごした季節。土の味。木の実の味。獣の味。少女の味。
浮かんでは消え、消えては浮かんだ記憶を、ただ、眺めていた。
眼前に広がる景色があった。脳裏に広がる記憶があった。
それらを、ただ眺めている。
どれくらいの時間を、こうして居ただろうか。体を、心をありのままに座し、自然に吹かれるがままにしていた。心と体は様々なものを見せたが、男は何も観ていなかった。暖かな日差しも、夜の刺すような寒気も、男には感ずることが出来ない。体の震え、心の震え、そのどちらも、男には別の世界の出来事であった。
喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、何もかもが、男から去っていた。
どうして去った?
その問いをも、男は持たない。
何も、無かった。
*
「こんなところに人が居るのかよ」
「知らないわよ、そんなことは。私たちの任務はそれを捜して連れ帰ることでしょ。見つかるまで帰らない。それだけよ」
森の中の獣道を、銀を基調とした武装を携えた一組の若い男女が歩いている。
先頭を歩く女の歩調に対して、男のそれは遅かった。男の歩くのが遅いのは手持ち無沙汰に山刀を振り回し、周囲の植物を傷つけながら歩いているためだった。また、それに構わず女は歩くので、さらに距離は開いていった。
「おい、もうちょっとゆっくり行こうぜ。せっかくのハイキングじゃねえか」
おどけた口調で男が言う。これもまた、退屈しのぎであった。
それに女が振り返る。余裕の無い表情であった。こめかみに青筋が浮いている。
「ハイキング? 何がハイキングよ! もうひと月になるってのに手がかりひとつ無いじゃない! 帰ってお風呂に入りたいわ! おまけに食べ物は少ない! バイキングしたいわチクショオオオ!!!」
「いやだからしてるだろハイキング」
女は突然金切り声をあげた。ヒステリーである。退屈な男は、それでも女を冷静に煽った。
「それはバイキング! わたしのやりたいのはハイキングよクソッタレ!」
そこまで言うと女は腰に提げた銀細工の長剣を力任せに木に叩きつけた。直径30センチ程のダケカンバである。女はこれまでのストレスを発散させるかのごとく、そのダケカンバに何度も斬り付けた。やがて、十も斬らぬ内に、哀れな樹は生の音を立ててへし折れた。
「あーあー。勿体ねえ。この樹液は栄養あるのによお」
男は、いつものことなのか、その態度を崩さずに、荒い息を立てる女をたしなめた。
「木こりにでもなったほうがいいんじゃねえか。……ん?」
男は折られた木に向けた視線をやや上方に傾け、怪訝な顔をした。女もそれに釣られて上を見る。
木の向こう、100メートルほどの先に見えたのは、茅葺屋根の小さな小屋であった。ふたりはこれまでまとわりつかせていた雰囲気を一変させ、真剣な顔つきになった。
「見えるか」
「ええ。それにこの匂い……」
女の頬が俄かに紅潮した。ついで太ももを擦り合わせると熱の篭った息を吐き出した。
「魔物だな」
女の表情が甘いものになっていた。魔物の残した魔力の残滓を肌で感じ取ったのだ。人間は魔物の生命エネルギーに当てられると、ほぼ例外なくその本能を掻き立てられるという。本能、即ち三大欲求の一、性欲であった。
女は男にあからさまな視線を送った。ところが男はそれに気づいてないかのように、何の反応も与えずに歩を進めた。
「調べにいくぞ」
女の立ち止まっている獣道は決して広くない。道の端に寄らなければ、女の横を通り抜けるときに、どうしても互いの体のどこかが触れ合ってしまう。だが女は迫り寄る男をよけるつもりは無いらしかった。
男は、女の期待に満ちた視線を知っていた。欲情した雌の視線であった。
一瞬だけ、互いの視線が交わる。男はすぐに視線を下に落とした。落とした先は女の下半身であった。それを感じてか、女の腰が誘うように小さな円を描いた。
女には、男が自分に向かって歩み寄る
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