侍と魔女(中)

 目的地のエリザベート館は、地下都市の収まる大空隙を北東から南西に横切る銀糸川の始点に構えてある、やけに尖った意匠の目立つ西洋風のお屋敷であった。
 この辺は彦十郎もお役目の関係でなんども巡った覚えがあるが、館の住人とは余り出くわしたことが無い。
 聞き込みにやって来た時も、やけに暗い顔つきをした初老の使用人が玄関先でぼそぼそと聞き取りにくい声で受け答えするだけで、その中まで入ったことも無いし、そもそも館の主であるエリザベート某という人物がどういった手合いなのかもよく知らなんだ。
 何度か御用聞きの名目で中に押入ってみるかという意見も出たが、館の主人は帝国の大物が囲った愛妾か何からしく、奉行所の干渉を嫌った帝国が横槍を入れてくるので実現した試しが無い。
だが、それ故に怪しさはいや増した。
 やれ、もしや館の中に御禁制の品でも隠しておるのではなかろうか、それとも兇状持ちの悪党でも匿っておるのではなかろうか。
 そんなふうに勘繰る者もあとを絶たなかったが、なにせ地下町奉行所は朝から晩まで大忙しの所である、有るか無いかもよく分からぬ罪業よりも目の前にいる盗人を引っ捕える方が先決であった。
 そんな経緯もあり、エリザベート館と言うところはある意味、奉行所の連中にとってはポッカリと地図の上にある空白のような所であった。
 彦十郎も何度かその館の前を通りかかる度に「目」を開いて様子を伺ってみるも、鎮静と停滞を現す灰色がかった青白いモノが揺らめいているだけであった。およそ、人の暮らしている建物が漂わす気配ではない、それは人が離れて朽ち果てた廃墟の気配である。
 故に、いま彦十郎の背で寝息を立てている少女がエリザベート館に泊めて貰っていると聞いた時、彼は戦慄と共に少しの安堵も覚えたのである。
 ああ、あの死んだような館にもちゃんと住むべき人がいたのだと。
 少しだけずり落ちてきたリリーを背負いなおして、帯に取っ手を挟んで固定している提灯の位置を調節する。
 少女が持っていた棒杖は、彼女の小柄なの身体と彦十郎の背中の間に挟まっていた。
 そうして、彦十郎はリリーにだけ聞こえる小さな声で子守唄を歌いながら、とうとう街を縦断してエリザベート館の前までやって来た。
 提灯の薄明かりで屋敷の門扉がぼんやりと照らされると、彦十郎はいまだ眠りこけている背中の童女を起こそうと、身体を揺さぶった。

「おい、おい、着いたぞ。そろそろ起きんか」
「ぅ…………」
「これ、着いたっちゅうに」
「……」

 やれやれ参ったと溜息を付いて、彦十郎は左手だけで肉付きの残念な少女の尻を支えると、右拳でどんどんと扉を叩いた。

「御免、奉行所の者である。夜道で難儀しておった家人を連れ申した、開けよ。誰かおらぬのか」

 何度も扉を叩くが、一向に誰か出てくる気配がない。
 「目」を使って覗いてみても、やはり屋敷全体に悄然と、いっそ不気味なほどの静かな気配が充ち満ちていた。
 この屋敷はおかしい、これが本当に人の住まわる場所か。これに比べれば墓場か処刑場でももう少し騒がしいと言うものだ。
 彦十郎はゴクリと生唾を飲み込んで、もう一度戸を叩こうと拳を振り上げた。
 が、それが振り下ろされる前に、扉についた覗き窓がかたりと開く。

「……こんな時間に、どちら様で」

 その陰気な声色は、彼自身も何度か聞いたことのあるこの屋敷の下男の声であった。
 初老の使用人は相も変わらぬ陰気臭い目で、突然の訪問客をじっとりと死んだような目で見つめている。

「奉行所の者である。扉を開けよ」
「……此度はどういった御用の筋で」
「御用の筋ではない、道に迷ったそちらの家人を連れ帰って参ったのだ」
「はて……家の者は全て揃っておりますが」
「何をたわけた事を、コヤツがここで世話になっていると言っておったぞ」

 そう言って、覗き窓から見える位置にリリーの顔を持っていく。

「…………」
「どうだ、見覚えがあるか」
「……はい……確かに……今開けまする」

 妙に引っかかりのある物言いだなと彦十郎は感じたが、いちいち突っ込んでいては埒があかぬ。
 それに早いところこの少女を預けて他の仕事に取り掛かりたいと言うことも有り、彦十郎は扉を開けて姿を現した下男にリリーを預けた。
 よほど疲れていたのか、ここに至っても少女は目を覚まさない。
 下男は眠ったままの彼女を横抱きに受け取ったまま、彼に対して頭を下げた。

「わざわざ……有難うございました……いずれ、探しに行こうと……思っていたところです」
「ほう、それにしては最前、家人は揃っているなどとぬかしよったが? あれはどういう意味だ」
「家人は揃っております……ただ、これは客人ゆえ……」
「ふん、詭弁臭い物言いをしよる。なんぞ知られたくないことであるのではな
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