侍と魔女(前)

 六波羅彦十郎は幼い頃から見えてはいけないモノが良く見えた。
 物の怪、妖しの類は言うに及ばず、笑顔の裏に隠れた汚らしい本音や、或いは吉兆の前触れを唐突に垣間見ることもある。
 俗に見鬼だとか浄眼持ちだとか、あるいは祓師・拝み屋とか呼ばれる人々が持っている異能である。
 畢竟そのようなもの、常人が容易く付き合っていけるものではない。
 見鬼にしろ祓師にしろ、そういう家系にはそれを抑え、またどのようにして使うかを教え込むことに腐心する。
 時々低い確率でそういった特別な生まれに関係の無いところで生まれると、まずもって十を越して生きられぬと言われた。何故なら幼い頃より怪異魍魎に囲まれ、殆どは為す術も無く狂い死ぬからである。
 しかしながらこの彦十郎と言う男、生まれておぎゃあと一声泣いてからというもの、その肝の太さと不貞不貞しいまでのしぶとい死ににくさで、とうとう今年で二十代も終り近くまで生きてきた。
 京の実家では跡を継げる見込みもない貧乏武士の四男坊であったので、殆ど厄介払いも同然の手切れ金を手にして単身江渡にわたり、生来のしぶとさと多芸さを売りにして隠密同心として乱破(らっぱ)働きをするに至る。
 相変わらず見たくも無いモノを見て聞きたくも無いモノを聞いていたが、それを飯の種にするくらいは彦十郎も割り切ったことが出来る歳になっていた。
 世間では傘張りの内職までして糊口をしのぐ、ちょっと素性の知れない長屋住まいの貧乏武士という下馬評であるが、その実情は闇に紛れて悪人どもの情報を嗅ぎ回る隠密同心という二重の生活をこなし、15の春に江渡にやって来た彦十郎は、何時の間にやらそれまで京で過ごしてきた年月をまるまる江渡で過ごそうかという歳になっていた。
 そんな折、彦十郎は最近新しく北町奉行所にやって来た町奉行直々にお呼び出しがかかった。
 なんぞ不手際でもやらかしたのかと、内心びくびくしながら奉行所に出頭すると、噂のやり手奉行である烏天狗の秋葉奉行が彼を待ち構えていた。
 前任の赤鬼奉行の後釜としてやって来たこの烏天狗は、彦十郎と同じく京の出身であり、就任暫くしてちょっとした騒ぎを起こしたのであるが、それは今回の話に直接関係ない。腕はいいのだ、抜群に。
 閑話休題。
 江渡じゅうの盗賊を震え上がらせる町奉行は、真面目な顔で彦十郎にこう切り出したのである。

「髑髏目、お主、西の国に興味はないか」と。
「西国……京や中国のことでありますか」
「いや、海向こうの大陸の国だ、髑髏目、どうだ」

 髑髏目とは彼の渾名であるが、彦十郎は一体何のことやらさっぱりで、思わず「はぁ」と気の抜けたような返事をしてしまった。
 それに対して怒るふうでもなく、秋葉奉行は事の次第を説明した。
 なんでも大陸の西の方では、大小幾つもの国がつい最近までこの国でいう戦国の世にあったらしく、とんでもない人死と飢饉と災害が、さながら冬海の嵐か燎原の火の如く吹き荒れていた。田畑は荒れ、人心は乱れ、凶族・人買いといった外道畜生が大手を振って闊歩する、そんなこの世の終わりかと思うような光景が広がっていた。
 しかしながらその事態を憂いた西の大寺院が各国の争いに待ったをかけ、大昔に滅んだ都の地下に広がる迷宮で陣取り合戦をせよと命じたとか。

「これは異な事を。たかが寺社の声掛けでそのような事が実現したと。何故その国々は斯様な言い分に従ったのでございましょう」
「髑髏目よ、向こうでは殊更この寺社の力というのは馬鹿に出来ぬもの。言うなれば国を股にかけた西本願寺が更に大きくなって、手が付けられぬまで厄介になったようなところ。お主の常識で測ってはいかん」
「は、申し訳ござりませぬ。して、その話と手前の西国行に何の因果があるので」
「それをこれから話してやろうというのだ、心して聞くが良い」

 そうして始まった「迷宮戦争」であったが、暫くしてとある問題が取り沙汰された。
 迷宮内には自然発生的に生まれた地下都市があるのだが、そこの治安維持を果たしてどうしようかという話だった。
 其れまでは各国の兵士たちが己等のやり方で見回りなり捕物なりをやっていたのであるが、街の規模がどんどん大きくなるに連れてそれでは間に合わなくなってしまい、またそれ以外にも大きな問題もあった。

「縄張り争いでございますか」
「さよう。例えば、それ、もしお主、江渡で京の町奉行や火盗改メがしゃしゃり出てきよったら、頭にくるであろう」
「確かに。しかも向こうではそれが国と国との面子になり申す。や、これはたしかに厄介極まりない」
「であろう。そこで我ら日の本に白羽の矢が立ったのだ」
「なんといわれた」
「我らが与力同心、火盗改メから選りすぐりの者共をかの地へ送ろうという話だ。我ら日の本を治める将軍様や帝も、地の果てにある
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