老人と蜂



 私はその煌びやかな宝物殿の中で、たった一つだけ異彩を放つそれを見る。それは半ばから折れ飛んだ槍で、穂先は鉄ではないがなにやら固い物質で出来ており、柄の方は何の変哲もない木材だった。
「何故こんな物を飾っているのか」
 そう問いかけた私に向かって、カムラン公国の主たるヴォルド・カムラン公爵はこう応える。
「それは私の親友が持っていたものだ。たとえこの宝物庫にある全ての宝と同じ量のものを用意されても、決してそれだけは譲る事はないだろう」
 何故こんな壊れた汚らしい槍にそこまで執着するのか。驚き呆れた私がそう問いかけると、カムラン公国の主たる大公爵(ハイ・ヴェステリオン)はその立派な白髯をしごきながら、在りし日の思い出を語り始めた………………。
―――――――――『東西街道膝栗毛』「迷宮都市編」マルセル・デュシャン



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「ひぃ……ふぅ……すまん、ちょいと休まんかの?」
「おい! さっき休んだだろ!」
「そうは言うても、体力がはなから違うじゃろ」
「チッ……しょうがないな」

 あからさまに舌打ちをして、彼女はどっかとその場に腰を下ろした。わしは溢れ出る汗を拭き取りながら、彼女と背中合わせになるように腰を下ろす。こうして視界を確保して、急な敵襲に備えるのだが……わしは魔術士だ、もしこちら側から襲われでもすれば一巻の終わりである。その辺りのフォローは、背後の彼女がしてくれるのではないかと淡い期待を寄せているが、はてさてどうなる事やら。
 雑嚢から取り出した水筒の蓋を開け、中に満たされている清浄な水を一口含んだ。あまり大量に飲むと今度は逆に疲れてしまう、何事も程々が良いのである。そうして何とかさっきまで激しくダンスを踊っていた心臓が落ち着き始めた頃、背中合わせになった彼女が口を開いた。

「おい人間、本当にこっちでいいんだな?」
「おう、おう、生体感知(センス・クリーチャー)の魔法は正常にはたらいとる。ゆるーく迂回してから、お前さんがはぐれた仲間と合流できるぞ」
「……なら、いい」
「その代わり、約束は守っておくれよ」

 そう言ってちらりと背後を振り返ると、キリッしたと吊り目の美しい横顔がこちらを見ていた。顔だけ見れば美しい人間の女性に見えたかもしれなかったが、その頭頂部から飛び出る触覚と、背中から生える薄い羽、そして臀部――仙骨から飛び出た蜂の腹部は、彼女が人外の化生であると知らしめている。彼女は昆虫特有の凄まじく固いキチン質から作り出した長槍を肩に立て掛けて、いつでも瞬時に立ち上がれる格好でその場に控えていた。
 ホーネットと呼ばれる凶暴な昆虫属の魔物、しかもその身に装備した頑丈そうな篭手と具足、そしてその槍はホーネットの中でも特に戦闘に特化した兵隊蜂で、「キラービー」と呼ばれ、外敵を排除する役割を担う種類。本来ならばこんなふうに語り合う事など考えも出来ない手合いのはずだが、ひょんな事からこの「消極的協力者」とでも名付ける、奇妙な関係が続いていた。
 彼女はこちらと目が合うと、「ふん」と鼻で笑って向こうを向いた。

「分かっている、無事に本隊と合流して巣に帰還できればお前の欲しがってる物を渡す」
「それを聞いて安心したわい、この老骨に何度も耐えられる道のりではないからの」
「…………私は人間の生態にそれほど詳しいわけではないが、爺にしては随分健脚に思えるが?」

 訝しげにそう問いかけられて、わしは少しの自負心と大きな羞恥に顔を赤らめながらその問いに答えた。誰でも自分のやんちゃだった恥ずかしい過去には目を瞑りたいものである。

「はは、なぁに昔取った杵柄というものだ。これでも昔は冒険者をしとったからの」
「昔……? じゃあ今は何なんだ、こんな辺鄙な所まで1人でやって来るなんて、冒険者以外に考えられないぞ」
「今はカムラン公国で公職についておるよ」
「カムラン……?」

 背後で彼女が首を傾げるのが分かる。
 その動作に、思わず苦笑が漏れた。

「小さな小さな国だ、トルトリア帝国の東方、外れの外れ、黒龍連山にへばりつくようにしてある、戦略的に何の価値もない事でかろうじて自治を保っているだけの小国にすぎん。知らんのも無理はなかろう」
「公職……安定収入の身で何故こんな無謀なまねを」
「おや、わしを心配してくれとるのか?」

 そう冗談交じりに問いかけると、彼女は舌打ちをしてざっと立ち上がった。

「お喋りは終わりだ、すぐに追いかけるぞ」
「ふぅ……やれやれ、人生にもっとゆとりを持たんといかんぞ?」
「知るか、とっとと案内しろ、爺」

 イライラした様子で彼女は此方を睨みつけた。もともと造形が整っていて、更に生来の吊り目も相まってか、かなりキッツイ印象を見る者に与えそうな表情だった。しかし、わしからしてみれば、ちょっ
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