「……子どもたちだけで校区外には行かないように。旅行とか帰省のときは、川には近づかないように」
先生の話を真面目に聞いている人は、クラスの中にほとんどいなかった。もう六年目ともなれば毎度お定まりの注意は大体そらで言えてしまう。教室の暑さ、ついさっき返された通知表、これから始まる非日常──集中できない理由はいくらでもあって、じっと席に座っていろという方が無理というものだ。
いつも通りの文句を言い終えて、先生は話を終わらせる。
「それじゃ、小学校生活最後の夏休みですから。楽しんできてください」
起立、礼。日番の号令で全員の挨拶が揃って、クラスが一斉に騒がしくなった。マコトは机の横にかけた手提げに連絡袋を入れた。今日は終業式だけだったから、ランドセルは持ってきていない。
先生の話が終わって真っ先に立ち上がった連中が、教室の隅に集まっていた。そのうちの一人、ヒロが手招きして彼を呼んだ。
「おーいマコト! お前も来るか?」
「行くって、どこに?」
「肝試しだよ、肝試し。三丁目にあるんだよ、出るって家が」
ヒロたちは、秘密の話をしているとき特有の悪い笑顔を浮かべていた。
彼らによるとその家は、三丁目に住んでいる子どもたちの間では有名な場所らしかった。もう十年も前、その家でサツジン事件が起きたのだそうだ。警察の捜査が行われたものの、結局犯人は見つからず、家は今では空き家のまま放置されているのだとか。
「面白そうだろ?」
「えぇ……、そんなとこ行って怒られない?」
「おっ? びびってんのか?」
ヒロは揶揄うように言った。こんなことでびびっていると思われるのは、──それが肝試しそのものに対してであれ、あるいは怒られることに対してであれ──彼らにとっては沽券に関わることだ。マコトが返す言葉に詰まった隙に、ヒロはぐいっとマコトの首に腕を回した。
「おし、決定な。今晩九時に三丁目の神社集合だから」
「わかったよ」
マコトはしぶしぶ頷いた。このまま断ってつまらないやつ認定されるのもつまらないし、それに……。実際、マコト自身もちょっと楽しそうだと思い始めていたのだ。せっかく夏休みが始まるんだし、少しぐらい冒険があってもいい。
結局のところ、浮き足立っているのはマコトも変わらないということだ。
「来るときはあんま騒ぐなよ。近所の人に見つかったら怒られるからな」
「やっぱり怒られるんじゃん……」
夜道にはまだ昼間の熱気が残っていた。
蛙の合唱には時期が遅く、虫が鳴くにはまだ暑く、夜の畦道にはマコトが自転車を漕ぐ音だけが響いている。表の県道は街灯やコンビニの明かりに照らされているが、道一本入ればもう真っ暗だ。誰も通らないアスファルトの道を、自転車のライトの頼りない光が滑っていく。
学校から帰って、誰もいない家の玄関を開けてマコトはとりあえず宿題に手をつけた。こういうのはやる気のあるうちにやっておくものだ。とはいえ、いつも面倒なものを後に回して大変なことになるのは変わらないのだけど。そうして親が帰ってきてから、彼は夜に友だちと約束があることを親に伝えた。
もちろん肝試しだなんて言いはしない。いくらなんでも、サツジン事件のあった家に興味本位で探検なんて言えば大目玉を喰っただろう。彼は星を見にいくと言ったのだ。両親は心配そうな反応をしていたが、マコトは「もう約束をしてしまった」で押し切った。もしも雨が降っていたらこの言い訳は無理があっただろうから、今晩は晴れていてよかった。
かくして、マコトは夜道に自転車を漕いでいる。
待ち合わせ場所の神社には、既に何人かが集まっている気配があった。その内の一人がマコトの自転車に気づいて、懐中電灯をくるくると振り回す。マコトはブレーキをかけて自転車を停めた。
「よう」
「おまたせ」
互いに小声で挨拶を交わす。辺りは暗くて、声を聞いてようやく相手が誰だかわかるくらいだ。それは向こうも同じだったらしく、マコトが返事をしたのを聞いて、声からそれまでの探るような調子を消した。
「なに持ってんだ?」
「えっと、星座盤」
「せいざばん?」
「それより、もうみんな集まってるの?」
「いや、あと何人か……」
そう言っているうちに、ベルを鳴らして残りの連中がやってきた。集まったのはクラスの男子の半分くらいだ。全員揃ったらしいのを確認して、ヒロが手を挙げて注意を引く。
「よーし、じゃあ行くぞ」
「チャリどうすんの?」
「置いてく。向こうに停める場所ないからな。……ちゃんと鍵しとけよ」
案内するヒロたちの後ろについて、ぞろぞろとみんなで歩いていく。こんな暗い中みんなで歩くのなんて、たぶん四年の林間学校のとき以来だ。あのときも、そういえば肝試しだった。ただしあれは脅かす役の人がい
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