エメリの巻き起こす風が、木々の梢をざわざわと揺らす。ゆっくりと彼女は斜面に降り立った。
彼女の背中からずるずると滑り落ちる。こんなに長い間全力で飛び続けたのは初めてだ。脚がすっかり萎えてしまっていた。かくんと膝を折って地面にへたり込んだライを、女の子の姿に戻ったエメリが黙ったまま見下ろしている。
その表情を見上げて、ライは、彼女もまた今のことを冷静に考えられているわけでないことを知った。今のこと、そして、これからのことを。エメリは小さく口を開け、荒い息を繰り返していた。その眉の端が弱々しく下がっている。こんなエメリを見るのは初めてだ。
居ても立ってもいられなくなって、ライは急かされるように言葉を探した。
「……どこか、落ち着ける場所を見つけないとね」
「そう、ね」
エメリは小さく頷いた。立ち上がって差し出した彼の手を、彼女がきゅっと掴む。反対の手で矢筒を背負い直して、ライは彼女の手を引いて歩き出した。
一氏族とはいえ騎馬民を敵に回して、しかもたった二人だけで財産もなしにはあの広大で乾燥した平原では生きていけない。集落から逃げたエメリが目指したのは、彼女たちワイバーンの故郷、ビオア山脈だった。こちらへ向かうのは彼らに見られていたけれど、森をひとつこえたこの山脈までは追ってはこないだろう。互いに話し合ったりはしないものの二人ともそう考えていた。なにしろ森や山では騎馬民の頼みの馬が使えない。
故郷とはいっても、エメリが実際にここに来たことがあるわけではない。他の姉妹たちもそうだ──そうだった。ただ、自分たちの祖がこの山脈のどこかの谷に住んでいたということを知っているだけ。もしかしたら山の奥深くには今でも仲間たちが住んでいるのかもしれないけれど、とりあえず今はそんなことを当てにできるだけの余裕はない。
「雨の、匂いがする」
なるべく下草の少ない場所を二人で歩く。ライに手を引かれて斜面を登りながら、エメリがぽつりと呟いた。
それはライも感じていた。日が落ちるまでにはまだ時間があるはずだが、空はもう薄暗く曇っている。すぐに雨が降り出すだろう。地面から湿気た熱気が立ち上っていた。空気は辺りに生い茂った木々に閉じ込められて、平原なら噴き出す汗を払ってくれたはずの風もない。ライの故郷とは何もかもが違っていた。雨雲だって、平原では通りがかりにざっと地面を濡らしていくだけだ。こんな風にぐずぐずと待っていたりはしない。
「どこか、落ち着ける場所を見つけないと……」
ライが繰り返したとき、彼の耳にとうとう、ぽつり、ぽつり、と水の粒が落ちてきた。
「エメリ、大丈夫?」
「うん。ライは?」
「大丈夫」
木膚に背中を預けて、ぴったりと腕をくっつけて並んで膝を抱える。問いかけに答えるエメリの前髪が濡れてぺったりと額に貼りついている。きっとライのもそうだ。雨が、まるで壁のように降りしきっている。故郷のヴア族の天幕で屋根に当たる雨の音を聞いていたときのことをライは思い出した。
巨大な樹の中だった。ライとエメリが二人ずついても腕を回しきれないような大きな樹だ。その根元が地面から浮いて、二人が並んで入れるくらいの空洞ができていた。だんだんと雨が勢いを増していく中、ライと一緒に周囲を見回していたエメリがこの空間を見つけて、なんとか本降りになる前にこの屋根の下に潜り込むことができたのだった。
そうして今、彼らは言葉を交わしている。大丈夫? 大丈夫。なにが大丈夫かもわからないままに。
「エメリ、お腹空いてない? 晴れたら狩りに行かなきゃね」
「大丈夫」
腕に顎をうずめるエメリに、ライは話題を探しては話しかけ続ける。
「弓も矢もあるし。それから川を探しにいかないと」
「うん」
「この雨、まだ降るのかな。平原ならもう止むけど、山のことはわかんないね」
「うん」
「けど、ここはエメリの故郷なんだろ? だったらきっと住みやすい場所なんだよ。大丈夫、おれたち生きてけるよ」
「……ライ」
「それに、そうだ、みんな殺されたとは限らないし。いつかまたあ、会えたりして──」
「ライ」
「あれ……」
喉がひくついた。ぼろ、と、涙の雫が勝手に溢れて頬を伝った。
「お、おかしいな。あは、ごめん、おれ、なんでだろ」
一度溢れ出してしまえば、涙は後から後から流れて止まらなかった。ライは慌てた。こんな、エメリの前で。彼女は途方に暮れたような顔でライを見ている。手のひらでごしごしと目を擦っても、それでもどうにもならない。
絶望が夜の冷気のように心に忍び寄ってきていた。家族が殺された悲しみもあったが、それ以上に、自分たちのこの先が怖かった。家族も、故郷も、これまでライを育ててきたものが全部なくなって、いきなり世界に二人だけで放り出されてし
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